KORANIKATARU

子らに語る時々日記

話すことは尽きない

改札を抜けた小学生がエスカレータに向かって歩く。横に並ぶのはその少年の父であろう。駅の向こうとこちらをアルミ格子の柵が隔てている。二人はその柵を間にし並んで歩く。柵の高さはちょうど子どもの背丈ほど。父は息子がエスカレータを降りその姿が見え…

簡潔な記載によって知らされる事実の重み

先日のこと、広島の方の古い除籍謄本を目にする機会があった。記述を目で追って胸締め付けられるような思いとなった。昭和二十年八月七日、翌八日。まだ年若い姉弟について死亡の記載があった。届出は同月三十日。母親が届出者である。学校で習って小学校の…

行きはよいよい、、、

どのような事情があっても不快感もたらす言葉は使わぬ方がいいだろう。言われた相手は不意打ちにあったみたいに突如気分が沈むことになる。形あるものであれば避けて通れても言葉になると否応なく目に飛び込み耳から入って簡単には取り除けない。例えば理由…

一言にすれば、つながりの大阪星光

電話が鳴って意識が戻った。時刻は深夜1時過ぎ。帰るつもりで着替えそのまま事務所で寝入ってしまった。飲み過ぎたようだ。動けない。明日帰る。家内にそう告げ電話を切った。この日、大阪星光同窓会理事会が行われた。場所は高校棟2階の視聴覚教室。わた…

自分自身の偏差値72

風呂を上がってソファに腰掛け金曜夜の憩いの時間を過ごす。炭酸水を飲みながらテレビをつける。ちょうど下克上受験の始まる時間だった。以前、本を読んで感心させられた。どんなものだろう、と見始めた。偏差値41から偏差値72へ。親子で壁に計画表を貼って…

生活の実質を実感した夜

忙しいときには助っ人として駆けつけてもらう。この日も用事を幾つか頼んであった。本町の公証役場で合流し夕刻5時前には晴れて業務が完遂した。ご飯でも食べに行こうとぶらり歩く。天満にいい店があるという。御堂筋を北上し中之島で右に折れ天神橋筋商店…

原因と結果の法則

「原因と結果の法則」を読んだのはいつ頃のことだっただろうか。名著だと聞いて手に取ったのであったが、特に感銘を受けることもなく手応えのないような読書で終わった。だから内容もあまり覚えていない。原因があって結果がある、そんな当たり前すぎる話で…

人生の大先輩に学ぶ

天満橋の京阪モールであれば結構空いている。そんな記憶があった。混み合う場所が根っからの苦手。ユニクロは6階、エスカレータをあがった目の前にある。店の様子を伺う。ごった返していれば押し返されて目的を果たせない。ほっと胸を撫で下ろす。案の定、…

庭園に散りばめられた敷石

宴会に関しては例年になくスローペースな平成29年の立ち上がりである。今年序盤の飲み会はまたしても大阪星光つながり。週末に同窓会理事会の新年会があって明けてすぐ33期恒例の冬の集いが催される。33期の横つながりだけでなくこのところは縦にもつながる…

その夜、わたしと弟は顔を見合わせた

購入したはずなのに長く行方不明となっていた曲たちがいつのまにやらライブラリに顔を揃えていた。iPhoneの御心は分からない。極寒かつ雨模様であったが、懐かしい曲らを携え少し歩くことにした。迂闊にも製本テープを切らしていた。月曜朝には入用で日曜の…

古い写真が愛情の深さを物語る

手作りの弁当を2つ持って家を出る。この日は、すき焼き弁当ととんかつ弁当。ご飯の量は控え目で野菜たっぷり。どちらを朝に食べどちらを昼に食べるか思案しつつクルマを走らせる。ラジオから曲が流れる。チューリップの青春の影。「君を幸せにするそれこそ…

張り合ってくる人への対処法

大阪屈指の下町で生まれ育った。先日、その近所の不動産屋に寄って耳にし驚いた。わたしが小学生だった当時、1学年にクラスは3つあり、どのクラスも30名以上の児童がいた。ところがいま全校合わせてものべ7人。わたしの母校はたった7人が通う規模の小学校に…

不要な勝ちは譲ってこだわらない

こう見えても二十代の頃は服にお金を使い、三週に一度は髪を切るなど身だしなみに気を使った。思い出せば笑ってしまうがファッション雑誌などをチェックすることもあった。街を歩くときウィンドウに映る自身の姿にチラリ目をやり悦に入るということもあった…

いい景色の効能

ちょうど淀川大橋に差し掛かったときのことであった。前方を行く軽自動車が蛇行し始めた。居眠り運転なのだろうか、あるいは危険ドラッグによるものか。わたしの前の前のクルマである。巻き込まれる訳にはいかない。速度を落とし適切な状況判断ができるよう…

広大無辺な眠りの懐

今朝目覚めるときふとある記事のことが頭に浮かんだ。先日の毎日新聞。阪神淡路大震災で被災し妻を亡くした方の記事があった。倒壊した自宅の生き埋めになったのだという。家族揃って休日を楽しんだ翌朝のことであった。5年経っても10年経ってもが妻が不在と…