KORANIKATARU

子らに語る時々日記

簡潔な記載によって知らされる事実の重み

先日のこと、広島の方の古い除籍謄本を目にする機会があった。
記述を目で追って胸締め付けられるような思いとなった。

昭和二十年八月七日、翌八日。
まだ年若い姉弟について死亡の記載があった。
届出は同月三十日。
母親が届出者である。

学校で習って小学校の修学旅行でも訪れ、原爆がもたらした悲劇については知っていたつもりであった。

が、戸籍に記された簡潔な記載が、伝え聞く話や20万人が犠牲になったという数字の話とはまた異なることの重みを告げていた。

戸籍に家族の歴史が刻まれている。

終戦の決断があとほんの少し早ければ、母自らが子の死を届け出ることは回避されたであろう。
母子で力を合わせて終戦後の人生を切り開き、その姉弟を系譜の始点とする新しい家族との出会いもあったはずである。
盆や正月には孫らで賑わい老母をみなでねぎらうようなめでたい場面も多々あったに違いない。

戸籍を前にそのような想像が浮かぶ。

時の為政者は本土決戦といった妄想をどこまで本気で信じていたのだろう。
そんな荒唐無稽を大の大人が揃いも揃って大真面目に唱えたなど果たしてあり得るのだろうか。

ことを先送りし責任を回避せんがための口実が積もり積もって本土決戦という思考停止のワンワードに結実していった。
そのように思えて仕方ない。

いくつか過去の編製の戸籍を遡るだけでそこには戦没者の記載が多々見られるはずである。
ついこの間のことであるが、はるか遠い昔の他人事のように、記憶の風化が加速しつつある日本であるように思える。

すっかり忘れて大和魂再来、怖いもの知らずの日本がまた巡り来る、といった話もあり得ないことではないだろう。