KORANIKATARU

子らに語る時々日記

祈る以外ない

昨日未明起きた広島土砂災害の救出活動の様子がテレビで報じられる。

母親が懸命に子の名を呼ぶ。

見ていて堪え切れないような気持ちとなる。

子に声が届かなくなる。

悲しいといって済むような絶望ではない。

昔見た「ムッシュ・ラザール」という映画のラストシーン、学校の教師である主人公が生徒らに読み上げた詩を思い起こさずにはいられない。

主人公は祖国で我が子を火災事故でなくしていた。木が主人公であり、さながぎ我が子を表す「木とさなぎ」という詩を、教え子との別れに際して朗読し、主人公はその心を伝える。

オリーブの木にエメラルド色の小さなさなぎがいた。明日、繭から出てさなぎになるだろう。


木はさなぎの成長を喜んだが、もっと一緒にいたいと願っていた。木は不安だった。さなぎを風から守り、アリから守ってきた。だがさなぎが蝶になれば敵や荒天にさらされる。


その夜、森で火事が起き、さなぎは蝶にならなかった。


明け方、冷めた灰の中に木は立っていた。心は黒焦げだった。火と悲しみに傷ついていた。


それからは鳥が休みに来ると、木は目覚めぬさなぎの話をする。


心に描くのは、羽を広げ空を飛びまわり、蜜と自由に酔い、私たちの愛を知る大切な者の姿だ』

この詩はほとんど祈りに近い。

祈るしかない、そのような儚い運命と背中合わせの我々である。心静かな境地は祈りでしか導けない、このような極限の場面を目の当たりにすれば覚者に言われずともそうと素直に分かるような気がする。