1
土曜正午、地元神社に立ち寄る。
鳥居で一礼し参道を進む。
手水前の社務所でお守りを貰う母と子は受験生だろう。
この日から宵戎。
神事の飾り付けの整った拝殿前で順を待つ。
女性が手を合わせ深々と頭を下げている。
後ろで待つ我々の気配を感じるはずだがその姿勢のまま微動だにしない。
一心にまさに一心に念じている。
ひしひしとした切実な思いがこちらにまで伝わってくる。
どうか願いが叶いますように。
その熱心さについつい加勢したくなる。
しばらくその後ろ姿をじっと見つめる。
年格好とその様子からこの方もまた中学受験を控える子の母親だとうかがえる。
いまこの時期、どの母だって正気保つので精一杯。
地に足つかないもどかしい状態を持ち堪えている。
せめて神社に足を運び何度も何度も念じるということになる。
つい一年前の私たちの姿である。
悲壮まであと数歩、あの切ないほどの心情を忘れることはない。
2
一列に並ぶ。
旅の無事を祈って手を合わせ礼をする。
神社を後にし伊丹空港へとクルマを走らせる。
向かうは南ゲート。
空港へと続く171号線はいつにも増して混み合っている。
三連休の影響であろうか。
長男の口数は少ない。
映画ロシア・ハウスのテーマがカーステレオから流れる。
Jerry GoldsmithのKatyaは名曲だ。
心に沁みる。
長男が置かれた場面場面、いつかまたこの珠玉の名曲を耳にすることがあるだろう。
男子が一人あるときに添えてこれほどしっくり馴染む曲はない。
今日この日彼の胸のうち去来した思いが、震えるほどに美しいサックスのメロディと融合しそこに格納された。
生涯に渡って寄り添うテーマ曲としてまさにふさわしい。
3
一階は満車。
二階に駐車する。
ANAの国際線の受付は11番カウンターであった。
長蛇の列ができている。
高校生くらいの子らが並びそれを親が遠巻きにして取り囲んでいる。
グランドスタッフの一人が立命館宇治と手書きされたA4大の紙を胸の位置で掲げている。
ニュージーランドへと一年の留学に向かう高校一年生の一行であるようだった。
一年と言えば長い。
見送る親の気持ちは如何ばかりだろう。
それに比べれば、我が家の三ヶ月などあっと言う間の短距離走みたいなものである。
荷物を預け長男がチェックインを終えた。
全部一人でするよう私は遠くから見守るだけ。
指図せず口出しもしない。
ベンチで座って搭乗までの時間を過ごす。
私はここまで。
あとはすべて一人での旅となる。
伊丹を発ち羽田を経由してから空路はるばる12時間。
そしてピアソン空港にひとりで降り立つことになる。
長男宛にメールが来る。
いまどこ?
ちょうど同じ時、ロスへと旅立つクラスメイトらが関空にいた。
伊丹と関空では大違い。
クラスメイトは長男が関空のどこかにいると思ったのだろう。
しかし、彼はもはやこの段階からたったの一人、単独行動となるのだった。
4
搭乗口入り口の列が空いた頃合い、さあ行って来い、と長男を送り出す。
私は列の外に立ち長男を見送る。
手荷物検査を受ける順番を待つ際、何度か目が合う。
小さい頃は私を見つけると彼の方から手を振ってきた。
いつからか、こちらから手を振ってそれを受け長男が軽く手を上げるといった風に互いの仕草が逆転することになった。
元気よく手を振ってきた頃のベイビーボーイの面影はどこにも見当たらないが、私には相変わらずその当時の幼い姿形のままに見える。
手荷物検査を終えエスカレータで搭乗口ロビーへと向かう際に横顔が見える。
手を振るが、もう彼はこちらを見なかった。
5
飛び立つところまで目に収めようと展望デッキに出る。
春を思わせる陽気。
風がふんわりと暖かい。
デッキでは家族連れらが遊び、幾人もの写真マニアが望遠レンズを機体に向けている。
当の機を見つけ近くに寄る。
長男の姿などそこに見えはしないが、手すり越しその機体に目をやり続ける。
予定時刻を10分過ぎて飛行機がゆっくと動き始めた。
機体が空港の南側奥深くへ向かい、ぐるりと回転して北へと向きを変える。
一呼吸置いて、まるで意を決したかのよう。
機体が走り出しぐんぐん加速していく。
私の眼前、機首が持ち上がり浮上した。
たちまちにして見上げるほどの高度に達する。
雲間に迫ってはるか上空で旋回し向きを変える。
長男を乗せた飛行機は、私の頭上の先の先、西日を横切り南へと飛び去っていった。
空の彼方、見えなくなるまで私は注視し続けた。
軌跡は目に焼きついた。
飛行機を見て泣いたのはこれが生まれて初めてのことだろう。