三ヶ月の日程も残すところあと一週間となった。
最終週を前に現地からレポートが届く。
内容は多岐にわたる。
成績、出欠、課題の達成状況、取り組んだスポーツ、余暇の過ごし方、友人やその家族、ホストファミリーの声、お手伝いの状況、食生活などに関し詳細が記されている。
総括のなか、誰とどこへ出かけたか、どのような交友関係があったのかについても報告がある。
日本においてと同様、そこそこ勉強し、スポーツに励み、盛んに友人らと交流したようである。
現地に着いた当初、関西の附属高校の留学グループを見かけたとの話を本人から伝え聞いていたが、日本人とは結局のところ距離を置いたようである。
そこでつるめば一体何をしに来たのか分からなくなる。
自らそう判断し、肩寄せ過ごす一団を遠く横目にしたのだろう。
その分、現地の友達が大勢できた。
エージェントによれば長期で滞在しても現地の友人作りがうまくいかないケースが少なくないという。
それを考えれば、収穫大。
充実度抜群の滞在になったと評価できる。
おそらくは持ち前の明るさと積極さで一つ一つの局面を前向きに捉え骨太に過ごしたのであろうと思う。
遠い異国において豊かな人間関係を構築できたと聞いて親として素直に嬉しい。
旺盛な生命力は言わずもがな、自身において的確な状況判断が為せるようになってきたことの証だろう。
小さな頃は目が離せなかった。
我が家のヤン坊マー坊は揃ってやんちゃくれ。
しっかりと見守り続けた母親があってこそ、無事に現在まで至ったのである。
先日友人らと子育てについて話していて、なるほど皆よくできた伴侶に恵まれたのだと感心させられることしきりであった。
共通の因子を挙げて表現するとすれば、三歩先を見ようとする子育てということになるだろうか。
子ども自身は三歩先どころか、次にどうなるかという一歩先すら覚束ない。
だから、何か事が起これば目の前のことしか見えず状況判断できるはずもない。
時系列に沿った的確な対処など土台無理な話であって、そうできるかもと期待する方がどうかしている。
子をそんな事態に直面させるかもしれない、というだけでも酷い話というべきものだろう。
そう考えれば、欧米諸国において子をいっときでも放置することが保護者による虐待とみなされるという捉え方も当たり前のこととして理解できる。
子育てにおいては、三歩先せめて少なくとも一歩先くらいは見通せる存在が必ずそばにいなければならない。
当初は常に寄り添い、やがてはつかず離れずであったのが、いつの間にやら、遠くにあっても安心できるというようになる。
所詮凡人のことであるから五歩先を見通すなど望むべくもないが、三歩先くらいを見ようとする思考習慣が宿ったと見えれば、ようやくなんとか一人前。
そうなってやっと持ち場を任せ目を離しても危なげないということになる。
我が家のヤン坊マー坊は発展途上。
幼さの域をまだまだ抜け出てはいないが、一個の人間としてその意思決定を尊重できるようになる日は近いと親は指折り数えている。