事務所を出て地下鉄と阪急電車を乗り継ぎ高槻駅で降りた。
業務を終えて晴れて終業。
夕刻、やわらいだ日差しを受けながらのんびり歩く。
雑多な雰囲気の盛り場を抜けJRの駅に向かった。
電車に乗ると家内からメッセージが届いた。
いま天王寺にいるという。
大阪駅あたりで合流しよう。
そう伝えるが結局、尼崎駅で足並みが揃った。
電車を降り駅前のスーパーで果物やアイスなど買って帰宅した。
夕刻はくつろぎの時間。
読書しながら風呂を済ませて夕飯を食べ、あとは家内とドラマを見るだけ。
『30女の思うこと』を家内が見始めたのは舞台である上海が単に懐かしかったからであった。
つられてわたしも見始めて、ストーリーも面白いから夫婦で引き込まれた。
三十歳の女子三人が主人公である。
この年齢が課題山積であることは万国共通。
女子の胸の内に去来するテーマは日本人と何ら変わりがない。
その年齢にて降りかかるすべてのことが描かれる。
恋愛、結婚、不妊、出産、子育て、セレブとの交流、親の介護、友情、キャリア、夢。
ドラマであるからハイセンスな暮らしを含め夢物語といった要素もなくはない。
が、概ね現実に地に足ついた内容と言え、だから多くの共感を得て大人気のドラマとなったのだろう。
日本で言えば、『ふぞろいの林檎たち』が思い出される。
そこでは若い男子三人に降りかかる「一歩先取りした現実」が描かれていた。
当時の東京の男子だって、いまの上海の女子だって、いつだって誰だって、いろいろたいへんなことに変わりはない。
上海の何処にでもいる誰かを写しとったかのような日常のなか、三人の女子が交差していく。
そこに本筋とは別途、挿話的にひとつの家族の姿が描かれる。
両親と男の子の三人が倹しい暮らしを送っている。
屋台で生計を立て、生活に華やかさは全くないが、そこには確かな繋がりがある。
ついこの間、人はみなすべてこういった場所にいた。
そして、そんな繋がりこそが一番大切なことだと当たり前のように理解し、それを望んだ。
主人公らは折に触れて葛藤し揺れ動く。
が、ドラマの行方はさておき、そんなしっかりとした原風景にドラマを観る者は随所で繋ぎ止められる。
中国全体から見れば巨大先進都市上海の暮らしなど一種のファンタジーのようなものだろう。
だから、全てが先取りされたような憧れの先の先に旧き良き価値が暗示的にそっと取り置かれている、そんな構造の物語だと見ることもできる。
堂々巡りを経た後、ちらと描かれていたその確かなものに主人公らは着地していくのかもしれない。
全43話のうち現在まだ第16話。
夫婦の楽しみはまだまだ続く。
ところでこの日、NHKでは『映像の世紀』の再放送が始まった。
帰省した息子らと一緒に見られるよう全11作を録画予約した。
普段テレビは見ないが、今もってたまに役に立つ。
なんであれ使いようということだろう。