KORANIKATARU

子らに語る時々日記

日常の分厚い面の皮

どちらにしようか。
ジャグジーで選ぶなら和らかの湯、泉質なら浜田温泉。
一瞬迷って、甲子園の浜田温泉へとクルマを走らせた。
昨晩は和らかの湯、では今夜は浜田温泉。
順繰りのいいとこ取り。
そう決めれば話が早い。

アゴまでつかって湯を堪能し尽くした。
湯あがりの肌はあたたかくしっとりやわらか。
なんて気持ちいいのだろう。

クルマの窓を全開にし、ひんやり夜風が入るに任せる。
流す音楽は昭和の歌謡曲。
懐メロ鳴らしながら住宅街を駆け抜ける。

チビっ子当時の記憶が蘇る。
ザ・ベストテンを熱心に見ていたあの頃が懐かしい。
手足かじかむ真冬の季節、家族の団欒に欠かせない定番の番組だった。
次の日の学校では必ずそのランキングが話題になった。
まさに童心、誰が一位か手に汗握った。

途中信号待ち。
車内から街路へと昭和歌謡がこぼれ出す。
通りかかった人らの耳にも届いたはずで、一筋の流れ星みたく、温かな思い出が彼らの胸をよぎったに違いない。

最終地点で左折する際、人の流れが過ぎるのを待つ。
その間、雅夢が哀感たっぷりに歌う。
愛はかげろう束の間の命、と熱唱し、人の心をゆらして、と続く。
勤めを終え家路急ぐ方々の心にじかに響いたはずである。

家に帰って寝支度済ませ、二男の部屋に寄る。
勉強の様子を眺め、二、三言葉を交わす。
一昨日は本屋に行くと言って映画館で「ジャック・リーチャー」を一人で観てきたのだという。
そうかそうかとわたしは目を細める。

向かい側にある部屋はもぬけの殻。
長男の帰宅はまだのようであった。

さあ週末恒例のお楽しみ。
わたしは一人で金曜ロードショー。
この夜は日本映画「小さいおうち」を見始めた。

二・二六事件から日米開戦そして東京大空襲へと至る頃の、東京のとある「小さいおうち」の日常が描かれる。

その当時と言えば、世間は軒並み騒然とし混乱のさなかにあったのだとわたしは思い込んでいた。
なにしろ戦時である。

しかしよく考えれば、戦時であっても全員が戦っていた訳ではない。
そこには当然、ごく普通に人が暮らす日常生活があったのだった。

わたしたちの心象にとてもよく馴染んでほっと落ち着くような時間の連なりがそこにもあった。

ただその一方で、日本国政府はことごとく選択を誤っていった。

真珠湾攻撃の戦果を告げるニュースに湧く市井の民が哀れに映る。
誰もその選択の先に待ち構える無残な結末を露とも知らないのであるからあまりに切ない。

日常の面の皮は分厚く、危機的な事態が迫る予兆があっても、わたしたちは無邪気脳天気なままであり、それに気づけない。
空恐ろしいような思いで、日常が人々にもたらす平穏な鈍感を、その映像に見続けることになった。

「小さいおうち」を見終えて、ミヒャエル・ハネケの「白いリボン」のことを思い出した。
日常を介して時代の空気を捉えた点で「白いリボン」もたいへん示唆に富む映画であった。

「白いリボン」では、20世紀に入ったばかりのオーストリア帝国のとある村が舞台であった。
サラエボ事件を契機に第一次世界大戦へと向かっていく時代が背景であるが、その当時すでにナチス台頭の兆しのようなものが人々のなかに胚胎していた。
その様子が不気味なまでの静けさで淡々と描かれる。

あれから百年。
いま過ごす日常にも何かしら不穏は潜んでいるのかもしれない。

先日までは、グローバル化だとの声一色に塗りつぶされたような世界であったのが、にわか地域主義的な声がそれを押し返しはじめている。
それも世界を代表するような国イギリスとアメリカで起こっているのであるから軽く見過ごせるような話ではないのだろう。

地域主義が極まれば、いつだって誰だってどんちゃん始めるのが人の世の習いである。

地域主義的な声の担い手の中心は中高年層だという。
そしてその影響をモロに受け、起こった結果の矢面に当事者として立たされるのは、決まって若者だ。

外の風が勢い増せば、いまお気に入りの日常の繭に幾分かは亀裂が入っても不思議はない。
時代の過渡期に変化は付き物。
多少のことは覚悟しなければならないのかもしれない。

わたしたちとしては何があっても対処できるよう、老いも若きも倦まず弛まず地力の増進に努めるだけのことであろう。
まさか百年前のようなことが繰り返されることはあるまい。