KORANIKATARU

子らに語る時々日記

閃光

お客さんに聞いた話である。

鬼気迫るほどのヴァイタリティで女性を追い求める友人がいたという。
普通どれほどの女性好きでも、「1に女性で、2に女性、3,4がなくて、5に女性」と来る程度だろうが、その友人の場合は、3と4にも女性が来るくらいの筋金入り。
死んだような風体で勤務時間を過ごし、仕事が終わるや否や自ら旗を振りF1マシンさながら急発進、女性のいるお店に連日連夜入り浸る。
あの娘がどうだの、この娘がどうだの、話題は全部女性のことばかり。

その友人が40歳過ぎる頃、ある日を境にぷっつりと、全く女性に興味を示さなくなった。
女性に裏切られ打ちひしがれて、女性を忌避するようになったという様子でもない。
憑き物が落ちたかのように、途端にさばさば無関心となったとしか言いいようがない。
以後10年以上経つが、女性に対しては無頓着なまま、独身であり続けているという。

夜の世界を飛び回っていた当時とは人相も打って変わり、溌剌とした毎日を過ごしている。
秘境と呼ばれる国々へ単独果敢に足をのばし、酒も飲まず凄まじいほどの勉強家となった。
一心不乱に読書する姿が常態だという。
仕事において切れ味が増しに増し、クリエイティブな場面で数々の成果を上げるようになった。

女性を追尾探求するという男子固有のプログラムが、彼の場合過剰に備わっていたようだが、どうした訳か急停止し、他の「何か」が発動し始めた。最前列にあった欲望を押し退けて、二列目以降の「何か」が前線に出てきたのだ。

最前列に配されている原始的な欲望が、松明の炎のように「対象」を仄かに照らし、我々はまずはそれらを追求する。
そして、欲望の最前列は、コロコロとまでは行かないまでも、何かの拍子に変化する。
欲望の配列加減が、我々の関心や興味の方向性を定め、個性を形造る。が、当の本人は、実のところ、何が何だかどこへ向っているのか、分かっているつもりで全く分かっていない。意思など寄与しようのない世界だ。

ある日突然、後方からそれまでと全く違った光源が姿を現す。
出現してはじめて、その光源は、予感され続け、気付かれることを待っていた「何か」であると分かる。
待ってましたとばかり、薄明の中、己の前途を、波状の閃光が強く照らし出す。
光彩は松明の炎や、誰かに迎合するための提灯の明かりとは比べるべくもない。
行く手が明瞭に照らし出され、没頭する百日、没頭する千日が生まれ続ける。

その男の昔日の日々を想像してみる。
求道者のように女性を追い求める日々は、楽しいなんてとんでもない。
数々の苦難に満ち、忍従強いられ屈辱に耐える毎日であったであろう。
しかしそれでも、立ち向かい続けたことで、彼の内部世界は、少しずつ進化していったのだ。
そして、彼の飽くなき奮闘の日々が、遂には光を発動させた。
一寸先は光。
その言葉を金言とし、その男は、まだまだその先その先へとエキサイティングな毎日を送り続けているに違いない。