KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ピッカピカの一年生

オーナーさんのご好意に甘え天橋立にあるアメニティ抜群の保養施設で数日過ごした。
岩盤浴から朝のスタートを切り屋内プールで泳ぎ一仕事終えて後、近隣のウォーキングコースを踏破する。
食事は食べログの情報を頼って地元の名店を訪れる。
夜は温泉三昧の後持ち込んだDVD鑑賞。
そのように緩めで快適な時間を束の間過ごして帰って来た。

帰途思いつきで丹波篠山に立ち寄ったがボタン鍋のシーズンは終わっていた。
今回は名物である牡蠣もトリガイにもありつけず欲を言えば切りがないけれど名産についてはないない尽くしで悔いがかすか残る数日間となった。

しかし視覚的には若狭湾の眺望を筆頭に宮津、舞鶴、丹波と至る所どこも満開の桜が町を覆い尽くしまるで祝福されているかのような夢見の空間を満喫できた。
心洗われるとはこのような体験を言うのだろう。

現在明け方5時。
自宅の電話が鳴る。
たまに夜中から明け方の時間帯にワン切りの電話がかかる。
真夜中に鳴ることもあって肝が冷える。
発信者に心当たりはない。

今日は長男の入学式だ。
昨晩の夕食時、制服を着て踊る長男を家族で囲んだ。
学校へ向かう道中、河口恭吾の「昭和40年代男たちのメロディ」を流す予定だ。
子らに昭和の歌を聴かせたいと思っていたところFMココロで紹介されていてさっそくダウンロードしたのであった。

数日前の記憶が蘇る。
西舞鶴の観光センターで長男が声を上げた。
あんぐり口を開けたまま尋ね人の貼紙を指差す。
私もはっとする。

前日立ち寄ったスーパーMipple(我々はニップルニップルと呼んでいたけれど)の駐車場外で「自主的に」交通整理をしていた青年だ。
ジャイアンツの坂本のユニホームを着て、信号待ちする我々のクルマに両手でバッテンを作って停止を促していた。
信号が青になってもバッテンを何度も強調していた彼の面立ちは記憶に鮮明だ。

貼紙に気づいたのは長男だけであった。
観光センターで青年を目撃した旨を説明したところ、あり得ないといった風な対応であった。
4年前施設から突如姿を消しその後一切の消息がないということであり、それが隣町のスーパーで衆目のなかそのような目立った奇行に及んでいるということが信じがたいというようであった。

貼紙の下に彼の特徴について説明書きがあった。
人見知りが激しく、知らない人に話しかけられても一切返答しない、とある。
発見され続け、しかし、その先に話が進まない。
4年間姿をくらましたのではなく、誰かの善意のもと応答しない4年間を隣町で過ごしているということなのだろうか。
もしくは他人の空似、我々の勘違いに過ぎないのであろうか。

目にした時も強烈な印象であったが、その尋ね人の貼紙で青年の姿が目に焼き付けられた。
咲き誇る無数の桜を後景にバッテンし続ける彼の姿が今もありありと浮かぶ。

これを書きながら河口恭吾の「昭和40年代男たちのメロディ」をパソコンで流している。
数々の名曲の間に懐かしいCMのメロディが挿入される。
♩今のキミはピカピカに光って〜♫

昨日の春の嵐がうってかわり今日は晴天に恵まれそうだ。
空は清々しく白み始め、前の公園から響く鳥達のさえずりが一段と大きくなっていく。
この春に居着いたウグイスも健在のようだ。

入学式、君のテーマは、これで決まり。
何十年も前の曲だが、これがぴったりくる。
ピッカピカの一年生、記念すべき実にめでたい一日が始まる。