KORANIKATARU

子らに語る時々日記

美容整形で人生バラ色?(その1)

始発を待つ間、リビングのテレビをつけミュージックバンクを見る。
二番煎じ風の韓流出演者続出でモッサイ感が痛ましすぎると消そうとしたところ、女性デュオが登場し、亀の歌をうたう。
なんだそりゃ、亀って?
彼の地では、亀が何らか叙情的なメタファーになるのだろうか。

字幕に出る歌詞に共感できない。
ノロマなあなたのペースに合わせるわ、ラララ、と真剣に歌っているが、何かの冗談なのかジーンとくるべきサビのフレーズなのか判じ難い。
きっと日本語訳では汲めないニュアンスがあるのだろう。

そんなことよりも左側の歌手にだんだん釘付けになる。
相当に美人である。
ありがちな整形顔といった雰囲気でもない。
誰も彼もが整形という訳ではないのだろう。
国中見渡せばいろいろな人がいるだろうしその中に天然の美人がいたっておかしくない。

仕事先で韓流に詳しい女性に亀の歌手について聞いてみた。
ああ、あれねといった感じで軽く笑い飛ばされた。
あの容姿は全身メスで彫像された人工品であり、しかもあの歌手は数々の男性と浮き名を流すお行儀の悪い人だという。
ネットで検索すればそんな話ばっかりだそうだ。

整形であんな美人ができ上がるのかと驚いた。
真偽は不明だ。
ネットでの心ない中傷の類なのかもしれない。
きっとそうに違いない。
いずれにせよ、整形かどうかなどは別段どうっだっていい。
しかし、行儀が悪いという話が本当ならそれはいただけない。
がっかりだ。

君たちも知っての通り、画面の向こう側は虚像の世界である。
アニメやらCGやらと同様に、芸能人が見目形に手を加えあれやこれやしていたところで、それは商品の洗練化であり、プロ根性持ち出す以前の常識のレベルの話だろう。

そして、テレビの影響が少なくないこのご時世、程度の差はあれ世間の姿は画面の向うと合わせ鏡だ。
化粧やらプチ整形やら市井の女性もますます化けてゆく。

女性にとって外見は男心をグッとグリップするためのキャッチコピーという側面がある。
そこでコケてる場合ではない。
だから整形の需要は根強い。
以前「美容整形」でも書いた。

もちろんそれは単なる一要素に過ぎず、整形というのは、男の視線だけではなく同性の視線をも意識した上でのパワー獲得の手段と見る視点も必要だろう。
そこを理解していないと本質を見誤る。

一滴の愛情すら降り注がないのは外見のせいだと、自らの顔形を自己批判するという洞窟思考ともいうべき暗い暗い問答のプロセスを経て、一発逆転、これで愛の雨あられ、雨雨ふれふれ母さんがじゃのめでお迎えうれしいなっ、と舟唄を熱唱し、過去を捨て覆面レスラーとして明日から生きる、といった切迫した動機のもとに整形が行われる場合だけではない、ということだ。

ときには、それは力の獲得そのものなのだと捉えなければならないだろう。
つまり、自らの威力を拡大せんとする覇権欲、おっかないほどの力への意志が沸々と地獄の釜のように煮えたぎり、それがあふれ出す。
なめんじゃないよ、と浮かぶのは日頃接する世間の面々。

不遇「からの自由」を試みる整形と一頭地高み「への自由」を目指す整形の二種の動機が混在する。

しかし、どちらも終わりなき旅の始まり、となりかねない。

美貌さえ手に入れれば男なんてイチコロ、それに引き寄せられて、家畜の豚より容易く男はなびく。
キレイになったお陰である。
今まで目も合わせなかった男性が、ちょっと立ち話をしていくようになった、熱い視線も感じる。

ずいぶんと明るく振る舞えるようになった。
以前は加わるのに気の引けた女性グループにも出入りできるようになった。
全く私に無関心だった彼女らに、いまは一目置かれ大切に扱われているような気もする。

いいことだらけである。

しかし、だんだんこの顔にも慣れてくる。
はじめの感慨は、もはや記憶の彼方だ。

いいことだらけであったはずだが、振り返ってみれば、当初当て込んだ成果とは異なるようにも感じる。

求めた愛情がやってくる気配はない。
皆に持て囃される訳でもない。
満たされたような、安らかな気持からはほど遠い。

いつしか新たな不安と向き合う日々がはじまる。
鏡の中の自分を見つめああでもない、こうでもないと再び煩悶する自分に気付く。

初対面の滑り出しにおいてさえ困難抱えるほどの容姿であるならば、整形の恩恵は計り知れないはずだ。
もろ手を挙げて万万歳。

が、外見の改善を喫緊の主要テーマとすべき人を除き、整形なんて、大した差異を生まない、五十歩百歩な、おまじないレベルの手立てに過ぎないのではないだろうか。
大半の人にとって、継続的な人間関係の中で、大きくその立場や印象を変える決定打となるほどのものではないように思える。

検討するに値しない事柄を大問題であると過誤し、それを手当てすれば状況が一変すると信じ込む心の動きに、新興宗教に入信し御利益信じる安易な信者の心理と相通ずるものを感じる。

つづく