お腹が空いた、蕎麦を食べよう。
助手席に乗り込むなり家内がそう言ったから、わたしはクルマを西宮北口から芦屋に向けた。
所要時間にして10分ほど。
雨で客の出足が鈍いのか店の駐車場が空いていた。
店に入ると先客は上品美形な母娘一組だけだった。
土曜日なのにこの入りというのは、やはりコロナの影響なのだろうか。
そう思っていると、次々と客がやってきた。
若い夫婦連れがわたしたちの斜め前に座った。
身なりよく、女子は美人で男子はどこかわたしたち33期に似た親しみやすさを漂わせていた。
男女の外見の不均衡からこの男子は医師だとわたしは断定した。
続いて現れたのは家族連れ四人組だった。
母親は見目麗しく、父親もかなりの見栄え感を放っていた。
わたしたちの間でこのレベルのオーラを滲ませる男はプレジデント・グリくらいだろう。
伴われる女子は利発そうなちびっ子で、男子は身のこなしも軽やかなスポーツ少年だった。
やはり芦屋は芦屋。
どの瞬間を切り取っても、どの登場人物に目を向けても、普通ではなかった。
客が出揃って、各客先に順々に蕎麦が運ばれようとするとき、わたしは思った。
これは絶好の機会である。
蕎麦を食す際、果たして音を立ててもいいのかどうか。
これについてわたしと家内は意見を異にしていて、かねてよりわたしは惑いのなかにあった。
今日その当否を決することができる。
わたしは息を潜ませ、それとなく聞き耳を立てた。
まず最初、大テーブルの端に座る母娘が箸を運んだ。
音はない。
全くない。
続いて、斜め前の医師夫婦の番となった。
だし巻きを食べるときはもちろん、蕎麦を口にしたときにも音はない。
数度確かめたが、やはり音はなかった。
わたしは自身の蕎麦を静かに口に含み、前方に目をやった。
視線の向こう、テーブル席に家族4人が座り、わたしの正面には少年がいた。
どこかで目にしたことがあると気づいて、すぐに思い当たった。
彼は芦屋ラグビーのエースであった。
タカラジェンヌを見てもわたしには判別つかぬが、あしラグのツイッターをたまに見ているからエースであれば記憶と照合できる。
間違いなかった。
その彼のもとに大盛りが運ばれてきた。
そしてすぐさま、何のためらいもない、ずるずるっという快音が高らかに鳴り渡った。
彼の家族は一様に静かに蕎麦を口に運んでいたが、彼は勢いよく蕎麦をすすり続け、その音がわたしの隣席の音と合わさって音声多重のシンフォニーとなった。
検証材料として、これで十分だった。
音が鳴るのは元気な証拠。
それをとやかく言うのは野暮に過ぎる。
わたしはそう結論づけた。
だから今度、息子らと蕎麦を食べる際には言うだろう。
音を立てるくらいの勢いで行け。
帰途、ビッグビーンズで買い物し、おのぼり夫婦は街を離れて里へと戻った。
その道中、蕎麦屋で見かけた少年の姿に導かれるようにして、息子ら二人の名場面を語り合い、その活躍を期待しつつ、心の奥底では怪我せぬよう祈る思いだったことを打ち明け合った。
勢いよく音を立てて、しかし怪我はせぬように。
土山人に行って帰って、そんな親の初心に立ち返った。