KORANIKATARU

子らに語る時々日記

過去が未来と出合う地点

スポティファイで80年代の音楽を聴きつつトレッドミルで走る。

流す映像はヴァーチャル・アクティブ。

 

眼前にはシアトルの海沿いの道。

視覚を通じ諸感覚が活性化され現地の空気がここに吹き込んでくる。

 

まるでそこにあるかのよう、わたしはシアトルを疾駆する。

懐かしのサウンドによって過去の光景が溢れ出し、未知の街路と混ざり合っていく。

 

つまりこの日、トレッドミルは過去が未来と出合う地点と化していた。

 

ふと思う。

ある種の先取り学習のようなもの。

 

まもなく息子二人はともに大学生となって巣立っていく。

いまは家一点に集約される家族の拠点が、彼らの進学とともに広がって、おそらく留学にも赴くだろうから、その際には飛躍的な拡大を見ることになる。

 

行き先がシアトルかどうか定かではないが、息子つながりでいずれ、わたしという過去の集積が未知の彼の地と接続することになる。

思い浮かべるだけで胸が高鳴る。

 

ようやく子育ても終盤、夫婦して文字通り離陸できる地点に差し掛かったということなのだろう。

 

息子の所在にかこつけて、わたしと家内が旅に出る頻度は増していく。

ここ最近は一緒に飲めばそんな話になって盛り上がる。

 

男子はまさに福袋。

行き先は全く未知で開けてみないことには分からない。

だから一層盛り上がる。

 

今朝の朝日新聞に、『行ってみたい日本の産業遺産』という特集が掲載されていた。

ベスト20のうちすでに半数近くを家族で訪れていた。

 

子らが小さい頃は、幼いその眼に何かが残るよう彼らを連れささやか旅に出て、長じては、彼らに引き寄せられ何かをこの眼にするため旅をするということになる。

 

暇があれば次の旅路について夫婦して思い巡らせる。

そんな風に余生を過ごし、遠い先、空の一点のどこか彼方に二人して収束していくのも締め括りとして悪くないように思える。

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Albert MarquetLa Marne à la Varenne 1913.