KORANIKATARU

子らに語る時々日記

父子、鉄の結束が生まれた夜


大阪難波へ向かう電車、例えば千日前線阪神電車奈良線などに乗ると、観光客がやたらと目立つ。
だんだん慣れてはきたものの、中国人や台湾人、韓国人の多いこと、多いこと。
驚くほどの数である。

よく見かけるというレベルではなく、一体ここはどこの国なのだと思うほど車両内多数を彼らが占めることもある。

今年、外国人旅行者は5年前の倍以上、1800万人に達する見込みだという。
大阪万博以来はじめて日本人の旅行者数を外国人が上回った。

中国、台湾、韓国からそれぞれ200万人もやってくるというのだから目立つはずである。
外国人が年間2兆円を使うという。
ちょっとした業界の市場規模を軽く上回るレベルである。

そのうち、旅行者数だけでなく、消費額についても逆転現象が生じるのかもしれない。


昨日、千日前線で見かけた。

若いカップルが私の前の席に座っている。
言葉と風貌、出で立ちから判断して、中国人であろう。

阿波座の駅を出た時、何かに気付いたように、カップルのうち男性の方が席を立った。

斜め前にご老人が立っていたのだった。

中国人の青年が、笑顔でご老人に席を勧める。

言葉が理解できず決まり悪いのだろうか、ご老人は曖昧に返答し固辞するが、青年はさわかやか笑顔で、さあ、さあと席へ誘う。

何だか照れたような表情で老人は席を譲り受けた。

その老人と目が合った。
はにかんだようなおじいさんの顔を見て、私も頬がゆるむ。

さわやかな風が地下鉄車内に吹いたような一場面であった。

席を譲る光景など、大阪ではあまり見かけない。
大阪人には東アジア根性があって、ありついた席を人に渡さない風土があるのだと私はわが町を卑下していたが、どうやらそれは考え違いだったようだ。

東アジアでは老人に席を譲るなど、当たり前のことなのだろう。

であれば、席を譲らない、つまり老人を労らないというのは、大阪だけの特殊事情ということであろうか。

旅行者らが見た大阪について一度じっくり話を聞いてみたいものである。
私達には盲点となっていて気付かない大阪人の実像を多く知ることができるに違いない。


ニ号線下りの混雑がピークになるのは午後7時頃のようである。
淀川大橋からして既に混んでいてクルマは遅々として進まない。
端から端まで橋はクルマに埋め尽くされている。

橋が崩落すればどうなるか。
ふとそう考え、イメージする。
兆候あれば窓をすぐに開け、水中から脱出する。
全長700メートル、服を脱いで、雨のなか何とか泳ぎ切るしかない。

しかし、橋は崩れず、事なきを得た。

午後7時半を過ぎ自宅に到着。
着替えを済ませスタンバイ。

家内が運転手を務め甲子園球場まで送ってくれる。

外はまだ雨模様。

雨合羽とランチボックスを持たされる。
まるで遠足に送り出される子供のよう。


目指すは一塁側アイビーシートの6段目。
ゲートをくぐると二男が一人座って応援している姿が見える。

二男と合流、午後7時55分、
二人並んで野球観戦の時間が始まった。
ちょうど雨も上がった。

グランドまでは至近で、投手と打者が、ちょうど視野フレームの両端に入る。
振りかぶってボールを投げる動きと、構えて引きつけバットを振り出す動きの連動が事細かに分かる。

そして、投じられる球もバットのスイングもともにド迫力の速さであり、打球はそのぶつかり合いではじけて飛ぶ結晶のようなものに見える。

右打者江越が放ったレフトスタンドへのホームランも見ることができたし、左打者堂上がかっ飛ばしたライトスタンドへのホームランも見ることができた。

二男に言う。
野球は実は左右対称ではない。
左打者が打つ大飛球の方が、なぜか知らぬが美しい。

スタンドには届かなかったが阿部がライトへ大飛球を飛ばし、二男は私の話を理解したようである。

この日の最大の見せ場は7回裏の攻防であろう。
まずは福留がセンター前ヒットで出塁。
続くゴメスが三塁線に打った打球はまるで火の玉、村田でさえ飛びつくことができなかった。
そして、マートン
この三塁線への打球も強烈だったが、さすがに村田は名手、これを見事にキャッチするのであった。
スムーズなスローイングでセカンドへ投げ、そのボールがファーストへ渡る。
このゲッツーは敵ながらあっぱれ、プロのレベルをまざまざ見せつける「曲芸」の域であったと言えるだろう。

さらに加えて、往年の大スター高橋由伸も見ることができたし、オ・スンファンの豪速球も締めにおがめた。

大満足の野球観戦となった。


阪神甲子園からバスに乗り甲子園口へ向かう。

野球の日は増便しているのだろうか。
日頃は10分おきのはずが、順々と次々にやってくる。
タイミングよく座れた。

ギュウギュウ詰め、満杯になってから発進。

タイガースが勝ったせいもあるのだろう。
車内は、わいわいがやがや、あちこちで野球談義に花が咲いてやかましいほどに賑やかだ。

人が集まれば、澄ました気取りは端へ追いやられ、本来はこのような猥雑さがあらわ真ん中に来るものなのだろう。

人類普遍の遠慮会釈ない和気藹々を運び、バスは一路北へとひた走る。

バスが甲子園口南口のローターリーに到着する。
多くはここからJRに乗って家路につく。
夢の甲子園球場を後にして、現実の入り口に戻ったようなものかもしれない。

蕎麦、食う?
二男を誘う。

二男の顔がぱっと花咲く。
二人して立ち食いそば布袋の暖簾をくぐる。

肩寄せ並んで二人で蕎麦をすする。
ここは夜の12時を過ぎても開いてるんだ、たまに飲んだ帰りに寄るんだよ、と二男に説明する。
大人男子の夜中の時間について、二男はなにか思い巡らせているようであった。
ふうん、とだけ言って蕎麦に向かう。

私が鉢を持って汁を口に含むと、二男も全く同じように真似をする。

この日、二人は一緒に野球を見て立ち食い蕎麦で仕上げた。

父子、鉄の結束が生まれた夜となった。

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