待ち合わせ場所は甲子園口南口にある焼鳥わびさび。
駅を出て1分。
店の前に行くと、赤いTシャツに短パンとサンダル、そんなバンカラ風情の二男と麦わら帽をかぶり黄色のパンツが上品で愛らしい家内の姿が見えた。
午後6時、二男がわたしの真向かい、家内がわたしの右隣という配置でわびさび奥のテーブル席に陣取った。
美味しい焼鳥を食べるなら、わびさびをおいて他にない。
大将はまだ若いが、焼鳥界のメインストリームで研鑽を積んできた正統派。
大阪の老舗名店で培った腕は北新地だろうがミナミだろうがどこであっても通用し繁盛間違いなしであったが、大将が店を構えたのは甲子園口だった。
出店にあたっては職人間に棲み分けのための不文律のようなものがあるのかもしれない。
西宮近隣の者にとっては棚からぼた餅。
ラッキーな話と言えた。
注文してから料理の登場まで時間かかるのが難点と言えば難点であるが、これも一つ一つ丁寧に手間をかけ作っているからこそ。
だから美味しく、結果、界隈では閑古鳥の鳴く店が少なくないなか、客足絶えることなくいつ来ても混み合っている。
家内が二男の希望をもとに料理の説明を聞いて注文していく。
わたしは、待てと指示された犬のようなもの。
出る幕はない。
家内も二男も何度かわびさびを訪れているが、訪れる度においしいとの思いが新たになる。
この日も同様。
一品一品首を長くして待ち、そして、待ちわびて後、一同その美味に感嘆するのであった。
夕刻のくつろぎの時間はいつだって素晴らしい。
そんなわたしの独り言を受けて、二男が部活後の風呂のくつろぎについて教えてくれた。
部活で試合などがあった際、風呂が定番になったのは二男の発案がきっかけだった。
親譲りの風呂好き。
砂まみれ汗まみれになれば風呂に入りたいと素朴に思うのが人情であり、それで仲間を銭湯に引き連れた。
さすが星光、なかには銭湯未経験者もいたが、すぐその喜びに開眼することになった。
いまでは輪が広がり頻度も増え、決まり事のように定着した。
時には風呂で2時間以上過ごすこともあるという。
まるで長屋の八っつぁん、熊さんたちである。
文字通り胸襟を開いての裸の付き合い。
青春のあれやこれやについて話し始めればいくら時間があっても足りないはずだ。
そして同じ湯につかればつかるほど、彼らの結束はトロトロ煮込まれ更にいい味を醸すようになる。
思えば中1のとき以来。
うちの家に泊まりにきた諸君を引き連れ熊野の郷へと赴いた。
そのときは15分ほどで全員が湯を上がった。
カラスと言うよりまさにスズメの行水であったが、その後、泊まりに来る度、わたしか家内が風呂へと引率し湯につかる時間は長くなっていった。
それで下地はできていたということだろう。
苦楽をともにし風呂も一緒に入る。
実にいい感じで彼ら男子の友情が育まれていると分かって、それが何より親として嬉しい。