KORANIKATARU

子らに語る時々日記

気の早すぎる話ではあると思うが

ちょうど武庫大橋に差し掛かり右折ラインに入ったところであった。

イントロが流れ始め、マーキーが曲紹介をする。
そろそろクリスマスのシーンズも近づいて参りました、おそらくは、2015年初、今年はじめて放送電波に乗って地上に流れる曲、みなさま、メリークリスマス、山下達郎の「クリスマス・イブ」をどうぞ。

梅雨明けしたばかりのカンカン照りの夏日、この冗談が面白すぎて、曲を聴きつつ大笑いしてしまった。

眼前真向かいには六甲の山並みが広がっている。
雲がちょうどいい感じのフレームを作って、そこから陽が差し山々にスポットライトを浴びせているように見える。
山を覆う緑樹全部が細部まで映えて光って美しい。

雲の切れ間から所々青空が見える。
太陽から離れるほどに雲が分厚くなって、地上にぴったり寄り添うように深みあるグレーが地上を覆う。

腹から湧き出すような笑いは、どうやら郷土愛と密接に結びついている。
異国であれば、どこか手探り感があって、これほど手放し大笑いなどできるようなものではないだろう。

慣れ親しんだ町で聞く慣れ親しんだDJの声、それがあってこそ、芯から楽しめ呵呵抱腹できるのだ。

そして、ふと思う。
先日同級生が亡くなったばかりだからだろう、死ぬ瞬間について考える。

いろいろなシチュエーションがあり得るだろうが、どうせなら、このような大笑いのうち、いつの間に絶命するというチョイスができるなら、是非そうお願いしたいところである。

笑って涙ちょちょぎれ、気づけば死の間際にあって恐怖感じる間もなく日記に、1,2,3,4,とこれまで書き連ねてきたみたいに幸福な場面が駆け巡る。

幼かった子らを連れ銭湯に通った場面、中学の合格発表の場面、一緒に向かい合ってラーメン食べた場面、友人らと過ごした場面など、いくつも浮かんで、時間が無限に伸張していく。
明度徐々に減じる光のなか感度は増して一望のもと皆の声が楽しげに響き、懐かしいような匂いと肌のぬくもりなどがあいまって、五感全体に歓喜押し寄せ、感謝の念のようなものに包まれる。

きっとそのような最期であるはずで、そのように思い浮かべれば、それ以外には考えられなくなってくる。

日記はその準備みたいなものかもしれない。
静か降り積もった雪が溶けてなくなってしまわないよう大切に冷凍保存し、最期を飾る場面のオーディションをしているようなもの。

そして選びきれないほどに、名場面が多すぎる。
つまりは、本当に幸せであった。

あとは役目続くまで、のことであろう。
いつまでも子らを見届けたいとは思うものの、言い出せばキリがない。

そのように、いつか最期が来るのだと直視し、そして、幸福であった自分を常日頃から忘れないようにしたい。

何かの拍子、けったくそ悪いような思いに襲われた時に臨終となるのであれば、全部台無しとなってしまう。
笑って過ごして、いつでも歓迎、それくらいの鷹揚さでその時に備えたい。
気の早すぎる話ではあると思うけれど。

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