KORANIKATARU

子らに語る時々日記

たまには自らの寸法に目を注ぐ


怒ればさぞかし怖いのだろうと思われているかもしれないがそもそも怒ることなどほぼ皆無であり、常日頃から至って物静か心穏やかな私であるので、人となりを一言で表わすのであれば温和温厚という言葉が一番しっくりと来るだろう。
子らも異論はないはずだ。

人にも増して温和温厚なので、常人なら文句の一つでもつけたくなるような場面であろうが、少しばかりは声を張り上げて当然だといった状況であろうが、自ら事を荒立てるような方向で動くことはない。

世の中いろいろ、何であれ起こり得ること。
余程のことでない限り、誰かを責めたり追及しても詮無いことだと心底思っている。

大阪ではよくあることだが、客が店員をどやしつけるといったシーンを目にしてしまうと、その度、何と無益なことであろうと第三者である私のほうがつらいような気持ちとなってしまう。
それでどうなるものでもあるまいし、よせばいいのにと間に割って入りたくなるのをこらえ、他の見物人と同様に後味悪さのおすそ分けに与るということになる。

だからもし役割として私が何か苦情を言う先頭に立たねばならないといったことになれば、沸点がそもそも低いので、言い様は演技臭くイモ臭く、それ以上に気が咎めて仕方ないので、居心地の悪さでたいへんに苦しい思いを味わうことになる。

例えばクルマが故障して修理を頼む際、がつんと言ってやれとハッパかけられても、内心では長い人生たかだかこれくらいの故障で目くじら立てることはあるまいと思っているので、戦意高揚するはずもなく戦況見守る後方の形相などに気を揉みながら、結局は猫パンチ程度のご挨拶で終わって尻すぼみ、途中からは笑顔まで浮かべて和やか円満な会話を繰り広げることになる。

要は用件さえ伝わればいいのであって、怒りをぶつけたところでこちらもあちらも嫌な気分があと引いて気分沈むだけであり特に目覚ましい成果が得られる訳でもない。
ならばニコニコ、険悪であるよりは良好な時間を過ごす方が断然いい。
突いて押し合うより、ハグできるほうがしあわせだ。

生まれ持っての専守防衛気質と言えるだろう。
危害を加えられたり、悪しざま罵られたり、口やかましくああしろこうしろと執拗に命令指図されたりといったことでもない限り堪忍袋の緒が切れることはない。

静か平穏な心境の居心地に勝るものはない。


そして私は怒らないだけでなく欲がない。
食いしん坊ではあるが、それ以外において、あれがほしいこれがほしい、ああしたいこうしたい、勝ちたいカネ欲しいとがっつくことが一切ない。

混み合ったエレベータで我先にということはあり得ないし、電車で空席の座を争うこともない。
そのようなことで殺気立つくらいない先を譲って悠然としている方がいい。

いい家に住みたいとも、どやというクルマに乗りたいとも、着る物持ち物で何か自己の優位を主張したいとも思わない。
そんな気が掠めることすらない。

もちろん、青い唐辛子みたいな思春期の頃は、ええかっこしたいといった我欲のようなものはあったと思う。
が、年追うごとにプリミティブに煮立ったような情念はすっかり鎮まりいまや影も形もない。

自分のことなどどうでもいい。
歯を食いしばって四苦八苦するうちそのような境地に至ったのだろうか。
気ぜわしくじたばたしてもはじまらない。
何であれお天道様の思し召し。
やれるだけのことを真面目にコツコツやって後のことは後のこと。
思い通りになろうが当てが外れようが、できることをただ毎日続けるだけ、といったシンプル&リラックスモードで日々を過ごしている。

端から自らに備わった体感もそれに合致したものであった。

コンビニ弁当でも美味しく食べられるし、かけ湯という習慣のないおじさんらが浸かる場末の銭湯であっても心くつろげ、バスタオルと座布団があれば安眠できる。

下町の長屋であろうがどこであろうが平穏安穏と暮らせる。
取り立ててこだわる趣味もない。
身軽なものである。


このように自らの感情のスタンダードと、求めるところの寸法を折に触れ検証し把握しておくことは重要なことであろう。

慌ただしく生きていると知らず知らず他人の意向にだけ振り回されているという本末転倒に陥りかねない。

うっかりどうでもいいようなことに囚われたり執着したりしてしまうと、それを過大視し、了見違いによる気煩いに苛まれがちとなる。

一種のアレルギー反応みたいなものと言えるかもしれない。
異物だと感じれば、そっと隠れて吐き出せばいいのだが、お人好しだと次から次へとゴクリゴクリ飲み込んでしまって過剰適応、結局は自らを消耗させてしまうことになる。

他者に合わせる気遣いはほどほどで。
というのも、他人はこっちのことなどそれほど考えていないものなのだ。
この驚くべき非対称については十分心得ておくべきであろう。

で、手を抜かず、事あるごとに再三再四、諸事整理整頓しすっきりと最も快い感情のスタンダードと自らの寸法に立ち戻っていくことが大事なことであろう。

f:id:otatakamori:20150913134140j:plain