昨日、芦屋西宮に住む星のしるべ同級生を花見がてら家に招いた。
朝から晩まで男総出で食べ続けても食べ切れないほどのご馳走を家内が作り、彼らが持ち寄るシャンパンやワインが色を添えたいへんにぎやかで親密な宴となった。
男子は30年など軽く超えて交歓できる。
太郎と殆ど忘れた九州の旅行について継ぎ接ぎ話し高岡先生の馴れ初めに突っ込みを入れ記念撮影では谷口の手を握り阿部の饒舌に腹を抱え岡本の長男の可愛さに目を細め、何度でもいつまでたっても楽しい宴であった。
しかし彼らが帰った後、私を除く家族に寂しいような虚脱感が残った。
なんでパパはパパで、あの人たちではないのだろう。
滅多に家におらず普段意識することはないが、うちの父は夫は、なんてしょぼくて変なのだ。
彼らと間近に接しその優しさ、人柄の穏やかさに触れた。
翻って、同じ学校出身だと宣うこのクソ親父、へぼ亭主は、一体何なのだ。
全然優しくないじゃないか。
友人らの誰もが、職業的成功を収め経済的に富裕であるだけでなく、そう、それだけでなく朝食を作るなんて朝飯前、根っから人柄が温厚で、妻や子供をいたわり家事に育児に献身的だ。
それに比べて、このハゲでデブで主人ヅラしているこのおっさんは何なのだ。
贋サレジアン、まがい物つかまされたのではないか。
疑念が確信に変わる。
彼ら素晴らしい男達が去り、へらへら満足げな顔して居座る現実は、他と比べれば一目瞭然、見るに堪えない耐え難い。
当の私自身を取り替えたいといった切望のようなものを感じる。
偽物だとバレてしまったようだ。
短所は多少直して取り繕えるかもしれないが本物にはなりようがない。
留守にする時間を更に延ばしてボロが出ないよう努めるしかない。
比較で真実が明らかになる。
比較だけが認知の全てという世界は、偽物にとってやるせない。
直射日光に晒されるモグラのようなもの。
明るみの世界ではただでさえ勝機がないのに、33期が比較の対象となると相手が悪すぎる。
こっぴどい底なしの惨敗を免れない。
無残でみすぼらしい父の姿、夫の姿は正視すらできない。
もはや救いようがない、成仏なんて贅沢だ。
いっそ地獄にでも落ちればいい。
無言の最後通告がリフレインこだまする。
今の間はボロと雑巾も使いよう、しかしいよいよ擦り切れたとなれば偽物は間髪おかずにお払い箱だろう。
厄介者は花見の家族団欒を遠目に途方にくれるしかない。
家の前の公園。
薄暮の時刻。
ひとりベンチに腰掛ける。
満開の桜の下、会社帰りなのだろうスーツ姿の若い男性とその妻と思しき女性がシーソーで幼子と遊ぶ。
比較に晒されないよう今が一番と何とか目をかすめ続けるのだ。
間違っても温厚篤実聡明叡知しかも財布パンパンなおかつ人品骨柄卑しからぬ仲間と引き合わせてはいけない。
さっきまでの賑やかさが失せて、寂しいような感慨に耽る。
あたりを見回す。
せめてエイプリルフール、気の利いたホラでも耳にして気を紛らわせたいところである。
背後には我が家の灯が見える。
私基準の食欲で家内が準備したので当分の間食べ切れない程手作りの料理が残っている。