KORANIKATARU

子らに語る時々日記

「考える」ことについて考えて少し賢くなれたような気がした一日


先日の毎日新聞書評欄で佐藤優さんが「あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか」(津田久資著)を取り上げていた。

記憶し再現する能力に長けるだけでは、国際社会で立ちゆかず日本のビジネスシーンにおいても用を成さない。
しかし、日本のエリート教育は記憶と再現を評価する明治以来の後進国型のままである。
欧米列強にキャッチアップすることを主目的とした教育システムはいまや負の遺産とも言えるものであるが、日本は転換を果たせていない。

見栄えのする「入学歴」の者であっても、その知的スタイルが「真似る能力」に終始するなら競争社会において優位には立てない。
自ら考え、論理を構築できる力が鍵となる。
そのためには言葉の力が不可欠だ。
入学歴では敗れても、書く訓練を通じ言葉を磨き論理力を鍛え続けた者がその後の競争では勝利する。

要約すればそのような内容であった。
興味を惹かれその場でAmazonで購入した。


日々の課題を書き留めるA4判タスクノートが、1日1ページでは済まなくなりつつある。
年末にかけての激忙の予兆はこんなところにも現れる。

午前中にデスクワークを終え、午後は終日客先を訪ねる。
八尾、東大阪方面へとクルマを走らせ任務を完了させていく。

訪問の合間、クルマのなかで「あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか」を読み進め、延べ一時間ほどで読了した。

著者は言う。
時代が移り変わる時、「学ぶ」だけでは足らず「考える」ことが必須となる。
知的下克上の時代が始まろうとしている。

知的争いにおいて「まいった」は仕方がない。
圧倒的な力の差については如何ともし難い。

しかし、通常、戦場というのは自分と同じ潜在レベルの者が集う場である。
ここでは、僅差で勝敗が決する。
思考での「しまった」を未然に防ぐことが重要となる。

スピードが必要であり、発想の幅が必要であり、思考のブラインド・サイドに気付くことが必要となる。

よりよい思考のための方法論が詳述される。
私は本を読む際、学びを得たページを折るがこの本は折り目だらけとなっていった。

時折、クルマの窓を開ける。
今夕から気温が下がると天気予報が言ったとおり。
冷気が勢い良く車内に入り込み日射の熱をさましていく。


「考える」ことについて考えつつ夜の阪神高速を走る。
松原線から環状線へと入っていく合流地点は車線変更が目まぐるしく毎度のことまるでカーチェイスの様相である。
ほとんど無意識に運転できるコースであるが、たまに調子外れなクルマがあったりして気を抜けない。

著者の言葉を思い返す。
「人が考えているかどうかを決めるのは、その人が書いているかどうかである」。
書かずに考えられるのは一握りの天才だけであり、その他大勢の普通の人においては「書いている」ときだけ「考えていた」ということになる。

そして、論理とは「筋道があること」だけを言うのではなく、「発想の力」を含めてこそ「論理思考」となる。
だからその部品となる言葉こそがすべて。
言葉にこだわり抜き語彙力を高めることこそが思考力や発想力の源泉となる。

この本を読む前と後とで少し賢くなったような気がする。
たった千数百円で利口になれるのであるから安い買物だ。

本棚に並べておくことにする。

この他、「考える」ことについては、不朽の名作ともいうべき「ブレイクスルー思考」(ジェラルド・ナドラー著)、考えることについて原理的に迫って実用性高い「縄文式頭脳革命」(栗本慎一郎著)、考えることに纏い付くノイズについて知ることができる「すぐれた意思決定」(印南一路著)、メタ的認知の重要性を説く「知的複眼思考法」(苅谷剛彦著)、システム相互の波及効果まで考慮する必要に気付かせてくれる「最強組織の法則」(ピーター・センゲ著)などもたいへん有用な書である。
同じく私の本棚に並んでいるのでいつか手にとって必ず読むべきだ。
付け加えれば、水平思考で有名なエドワード・デボノについても著作を買い集めてあって、記述される英語が読みやすく、これまたおすすめだ。


遅めの帰宅となった。

長男と二男が並んで夕飯を食べている。
その前に座る。

前菜は文字通りサラダ。
引き続き、今日料理教室で教わったのだという、何とかいうスープが出される。
かなり美味い。
そしてメインはチキン。
低糖質制限食も料理がおいしければ苦もなく続けられる。

食後は映画タイム。
「ブレイブ・ハート」を男三人で見る。
遠い昔のこと、旅したスコットランドについて子らに話しつつ見るが、子らは映画に没入し、少し黙ってくれないかと注意を受けた。

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