何ごともほどほどが肝心。
この日はジムの前を素通りした。
カラダに力入らず思考にもグリップが効かない。
オーバーワークが疲労の原因とみて間違いなかった。
多少カラダがだるくてもジムで走るうち爽快感増してマシン使ってパワー炸裂、終わってなんとも心地良い充実感にひたることができる。
だから毎夕ジムで一汗かいて疲労が雲散霧消と思っていたが、実はさにあらず。
ある種の脳内麻薬による見せかけの悦楽であって、カラダへの負担は着実に蓄積しているのだった。
それでこの日はジムを休んで、昔流の過ごし方を再現することにした。
ジムに通い始める前は、仕事後の定番は風呂。
上方温泉一休や熊野の郷、和らかの湯のどれかに寄ってから家路につくのが習慣だった。
まだ明るいうちジムを背に、夕陽に染まる西の空に向けクルマを走らせた。
熊野の郷の人肌のジャグジーに寝そべって弛緩する。
ほの暗い空間に身を置き無思考のまま目を閉じ過ごす、この心地よさといったらない。
トレッドミルで激音聴いて走るのもいいが、あたたかな水流と一体化し静か響く水の音に耳傾けるのも悪くない。
徐々に気力みなぎり、カラダの隅々まで息吹き返してくるのが分かる。
たまにはカラダの声も聴かねばならない。
かつて風呂を習慣にしていたことにはちゃんと意義があり、それはジムが主役になったとしても変わらない。
つまり、一色に染めず織り交ぜるというセンスが大事になるということだろう。
ジムに行く日もあれば風呂でゆっくりする日もあり、仲間と飲む日もあればプールで泳ぐ日もあり、映画世界に没入する日もあっていい。
それらあいまってこそ、彩りあるアフター5と言えるだろう。
風呂をあがって、夢見心地。
帰途、コンビニに寄ってハーゲンダッツのアイスを3つ買った。
家内がいて長男がいて二男がいる。
素朴な日常であっても、誰かその人のためにと思う存在があることは幸福だ。
クルマを運転しながら皆の顔を思い浮かべる。
団欒へと向け、わたしはアクセルをぐっと踏み込んだ。