KORANIKATARU

子らに語る時々日記

朝っぱらから何だか楽しい

朝5時には家を出るのが通常だが、この日は用あって7時過ぎまで待機しなければならなかった。
パソコンがあればどこでも仕事はできるのだが、勝手異なれば捗り具合に差が生じ自宅だともうひとつ波に乗れない。

痺れ切らして待ちわびて、やっとのことで7時過ぎ。
ようやく出発かなう状態となった。

さて、足は何を使おうか。
今日はクルマで動く仕事はない。
朝7時過ぎであれば電車はひっきりなしに動いている。

電車で動くのが経済的だ。

しかし子どもに聞いたところ、7時を過ぎると電車は容赦ない混み具合になるという。

想像してみて怖気が走る。
おそらくわたしの前世の死因は圧死だろう。

考えただけで気が滅入る。
満員よりは渋滞を選ぶことにした。

明け方なら大阪まで30分もかからない。
しかし、日が昇るにつれ道は混み合って朝8時がピーク。

そのとき、2号線は車線すべてがクルマで埋まって、この車列を伝って向こう岸に渡ればそのカップルは永遠に結ばれると言い伝えられている。
確か、渡るときには必ず手をつなぎ、決して離してはならないという警句も添えられていたような気がする。

クルマを発進させ家を出る。
颯爽と2号線に出て、そこからは牛歩の歩みとなった。

クルマの列に切れ目なく、何度も交差点に車体のお尻をはじき出されるような格好となる。
ママチャリ、ジジチャリ、あらゆるチャリに先を越されていく。

しかし、今日は週の半ば。
何も慌てることはない。

月曜ならばあれやこれやが再始動するので最大限に気を張って身構える。

が、水曜であればすべてはいったん動き出し、淀みなく流れていて順調。
気を揉むようなことは何ひとつない。

カーステレオから流れる昭和歌謡を口ずさんで、一人カラオケに興じる。
ハンドルにぎって生じる変性意識とあいまって、視界は澄み渡り思考は明瞭。

クルマは遅々と進まないが、なんだか楽しい。
このようにして60分もの間、朝の気ままな賑わいを一人満喫したのだった。

電車であれば、歌えないし踊れない。
クルマを選んで正解だった。

クルマを停めてその足で松屋に寄って朝食をとる。
今朝もほかほか白ご飯がとても美味しく、カラダに力が満ちてくる。

幸先いい。
白ご飯が必ずや白星を誘い込む。

そしてコンビニで朝刊とホットコーヒーを買う。

コンビニのコーヒーはあなどれない。
コーヒー通をも唸らせるほど深みあって香りもいい。
あまりに美味しいので癖になる。

これで朝の準備は万端、嬉々としたような思いでわたしはデスクに腰掛けて、本日業務を片っ端からこなすことになる。