KORANIKATARU

子らに語る時々日記

何の変哲もないただの日常がありがたい


何かいいプログラムはないものか。
留学先を探しあちこち問い合わせる。

長男の学校では中学生活の締め括りとして三ヶ月に渡って留学するという選択ができる。
多くは学校提携の斡旋業者を通じアメリカやカナダへと向かう。

中には個人的に受け入れ先を探索する方もあって英語圏の国ではないフランスへ向かうといった例もある。
なるほど英語圏でなくても英語は学べスイスの寄宿学校などは有名だ。

学校は方針として単なる語学学校に入るのではなく現地の学校に転校生のように入って学ぶよう推奨している。

語学学校は星の数ほどあり日本人は優良顧客。
石を投げれば語学学校に当たるなか、現地校へと誘導してくれる斡旋業者を探すことがまずは最初のとっかかりとなる。


最大手と言われるところに電話してみる。
中学生、と言った瞬間に「取り扱いがない」とにべもなく断られた。
そんなはずはないと家内が言うので、中学生は中学生でも英語については高校卒業程度は既に備わっている旨を添えて再度問い合わせる。
とたちまち話が変わっていくつかプランを提案してもらえることになった。

電話対応で最も感じが良かったのは東京のアルクであった。
可能性志向で情報を汲み取ろうとしてくれる姿勢が好ましい。
ここは本当に力を貸してくれる、そう思えた。

話しつつ信頼感を覚えたとおり、数日後アルクから速達で届いた案内には二通りのプランがあって、それこそドンピシャにひとりぼっち、まさにこのようなものを欲していたのだという内容であった。

他には海外教育研究所の対応も迅速で正確なものであった。
届いた提案書には、こちらの要望をもれなく満たすような選択肢が取り揃えられていた。
さすが長男の学校と提携している会社だけのことはある。

どこも親切であったが、あるところでは、現地校に入りたいというこちらの要望に対して「現地の学校に実際に入学するのでなければ、そんな話はあり得ない。語学学校に入る話と勘違いされているのではないか」とご教示してくださる方もあった。

留学斡旋業にはいっぱしの英語女子が携わっていることが多いのだろう。
現地校に入りたいという話が悪い冗談に思えたのかもしれない。
機嫌損ねてしまったようであった。


午後は終日出ずっぱりとなる。
来週は北摂が中心となるが今週は大阪南部。
市内はツバメ君が電車で回る。

各所訪問先でクルマを停め、着信あった電話に応答しメールを確認する。
訃報があった。

ラグビースクールは小さなファイターたちの集まりだ。
激しいスポーツだからこそ一生懸命取り組む子どもたちの姿に手に汗握り胸を熱くする。
皆が可愛く、チームメイト全員に愛着湧くのは当然だ。

その一人が亡くなったのだという。
合宿で二男と一緒に写った写真もあったし家内はクルマに乗っけて試合先まで運転したこともあった。
そのとき彼はお父さんの話をしてくれたそうだ。
今日、お父さんがたくさんの人の前で喋る、といったような話であったらしい。

私自身に引き寄せて考えてみる。
父親であれば誰だって、死なれるよりは死ぬほうがいい、そう思うに違いない。
自分が死ぬほうがどれだけいいだろう。
先立たれてしまっては、胸が張り裂け後に空虚しか残らない。
子を失う、という究極の苦しみを思い、ただただ厳粛な気持ちとなる。
安らぎがいつかまた訪れることを祈るしかない。


帰宅する。
家内は京都に出掛けて留守。
長男は隣家で夕飯を済ませ西北へと出かけて行った。
部活を終えた二男は家で風呂に浸かっている。

何の変哲もないただの日常のありがたみをひしと感じる。

ふと思う。
子を持つということは世界に人質を取られているようなことなのかもしれない。

いつ何が起こるか知れたことではない。
先のことは誰にも分からず、何が待ち受けているのか予想したところであてになるものではない。

人知の及ぶ範囲は限りなく狭く小さく、実のところは、ただただこの世界に放り出され晒し置かれて為されるがまま。

ひととき身を寄せ合うこの関係がとても大切なものに思えてくる。
いつかは終わるにせよ、いまこの関係があるのはありありと確かなことである。
過去形になったところで、私にはこれがあった、ということも変わらない。

要はそのようなこと。
精一杯愛しあとはでんと構えるだけのことなのだ。

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