外で食事しようと家内を誘う。
師走も半ばに差し掛かりまもなくクリスマス。
イルミネーションに彩られた冬の街路を家内と歩く。
ジュリエッタのカウンターに並んで腰掛ける。
土曜6時の時点でもう満杯。
この店の人気は衰えることがない。
女性は一日に二万語話さないと落ち着かない。
家内の話が止むことはない。
先日、ママ友らとラウンドワンを訪れたという。
子供達がどんなところで遊ぶのか一度見ておきましょうと誰かが発案したことがきっかけだった。
要は社会見学ということである。
ゲームセンターにたむろするご老人が多くまずそれに驚いた。
場内が喧しく賑やかであればあるほど、いっそう侘しいような光景に見えた。
第一、楽しそうに興じている様子でもない。
けばけばしい光が押し黙って並ぶ無表情をいくつも照らす。
学校帰りとおぼしき中高生の姿も多々あった。
ゲームを始めると止まらない、そう悩む母は数多い。
ここなら口うるさい親の目は届かない。
子供達からすれば心おきなくゲームに没頭できる夢の国ということなのであろう。
私も家内もゲームには関心がない。
ラウンドワンに行くこともない。
子らもあまり好きではないようだ。
友だちに誘われ何度か足を運んだことはあるものの面白い場所だとは思えなかったと見える。
親と似て騒々しいような場所には馴染めないのだろう。
だから友だちと遊ぶとなってもラウンドワンに目を向けることはなく年パスの持ち腐れUSJにも行かない。
それならラグビーでもした方がはるかにマシだし映画でも見る方がいい。
家内と頷きあう。
ゲームに夢中になるよりは映画を見る方が好ましいように思える。
ただごとではないような目つきで画面を注視しピコピコとせわしなく指動かすあの行為が私には無為に思えるし、不穏で危険なことのようにさえ感じることもある。
単に私がゲームについて無知だからなのかもしれない。
ところで、ラウンドワンにおいて家内は大活躍であったようだ。
バッティングセンターでは快音を響かせ、ゴルフではダントツの飛距離、ボウリングのスコアで誰をも寄せ付けず、歌は上手で、ダーツもまるで昔から心得あるかのような腕前を見せた。
目に浮かぶ。
快活で優れた運動神経の持ち主であることを我が家において知らぬ者はない。
子らが小さいときは家族4人でボール追うなどして公園で遊ぶこともあった。
何をしようが家内が最も長けていた。
ママ友で並ぶ者などないだろう。
食事を済ませて千鳥足。
街を飾るイルミネーションがその美しさを増している。
途中、本屋に寄る。
子らのお風呂用にと「こうのどり」を12巻まで買った。
一昨晩熊野の郷のサウナでそのドラマを目にしたばかりだった。
子らもその友人らもサウナの熱に耐えつつ興味深げに画面に見入っていた。
読んだあと、友だちに回せば彼らも読むだろう。