月曜夕刻、仕事を切り上げ阪神百貨店の地下で家内と合流した。
地下食で買物を済ませ軽く食事し、帰宅する家内に手を振ってわたしは途中下車してサウナに向かった。
根を詰めて業務に没頭したので草臥れ果てていた。
この日のうちに疲労を抜いておかないと翌日に障る。
そういう意味でサウナも仕事のようなものと言えた。
下町のサウナの前に巨大なベンツが停まっていた。
予感したとおり、サウナで憩う先客二人の全身は墨で覆われていた。
稠密な紋様は凡百の線描とは異なった。
まるで禍々しい外皮にも見え、だから猛獣のような凄みが漂った。
その檻のなか、わたしは目が合わぬよう、会話に反応しないよう息を潜め身を凍らせた。
ああ、今年はパクられへんかった。
よかった、よかった。
昔は留置所もタバコ2本まで吸えたし、コーヒーも飲めた。
いまの留置所は話が通じん。
留置所のこと思ったら、自制できるわ。
といった普段、耳に入らぬ情報は希少とも言え不要とも言え、価値の判別のつかないものばかりだった。
10分ほどで場がはけて、そのまま解散と願ったが数分後またひとつ檻の中、同じ顔ぶれで集合することになった。
わたしは不自然に俯き、姿勢を変えるときには相手を視線で刺さぬよう天を仰いだ。
来年はええ年にしたいな。
そやな。
今年はちょっとマシやったけど、もっとええ年にせなあかんな。
がんばらなあかんな。
引き続き会話に反応せぬよう聞き耳を立て気づいた。
外皮は異なっても、思うことは同じなのだった。
物騒に見えてしかし破滅を志向するのではなく、明日はもっと良くなると念じ、おそらくわたしたちと同様、彼らも家族や仲間の幸せを想い子らの笑顔を願うに違いなかった。
ちょっと違って見えるからこそ共通項がその分明瞭に浮かび上がったようなものであった。
もっと良くなりますように。
そう祈願するのがわたしたちの本質で、きっとそうなるはずという信心のもとわたしたちは生きているのだった。
世は厳しく、思い通りにいかないことも多々あるが、叶うこともたまにある。
それが綾なし幸不幸の紋様が現れる。
びっしり全身に描かれたその紋様に、ほんの少しだけ親近感が湧いたところで、二人はサウナを出て洗い場に向かった。
檻がようやくサウナに変わったのだった。
わたしは心底ほっとして安堵の吐息を長く響かせた。