気づけば師走も半ばを過ぎて、各所にて「よいお年を」との挨拶が交わされる時分となった。
えっいつの間にと思いつつ迎える何度目の年末だろう。
一昔前は、地獄のような忙しさであったが、いまは助力と主力が入れ替わって、どちらかと言えば煩忙の渦中の一歩外にある。
だから、季節感が薄れるのかもしれない。
外野に身を置く比重が増えると時代を生きる当事者感が減少する。
それでピンとこないということになる、そんな理屈だろうか。
実際、必死のパッチであった方が感情の出入りが激しく、ふっと季節感が深く内側に入り込みやすいように思える。
ああ世間はクリスマス、ああ世間は年の瀬。
そんな風情を感じた記憶は昔の方が強く色濃い。
この日、業務の最終地点は岸辺だった。
駅前の極楽湯のサウナに入って、暮れゆく年に実感が伴わずきょとんとし、それはともかくまもなく息子らが揃って帰ってくるのだと気づいて嬉しくなった。
彼らとしばらく一緒に過ごせる。
それを思えば、季節感など二の次三の次の話に過ぎなかった。
子らの帰省に備え、すでに家内は魚介の注文をし終えているようで、まるで料理店の仕入れのごとく、そこに肉やら果物がどっさり加わることになる。
もちろん、外食先の予約も済ませたとのことであるから、男三人は楽なものである。
四人で輪になって食べて飲む。
子らに付き合い、幾日かはわたしも杯を交わすことになるだろう。
思い浮かべるだけで心温まる。
振り返れば数々の助けを得つつ、要はこの四人で渡り切ってきた。
激流のなか小舟は揺れに揺れ、しかし、なんとか無事に過ごせて、子らが巣立つまでに至った。
そのカルテットが年末年始限定で再結成されるのであるから、ごくごくローカルであっても夫婦にとっては一面を飾るトップニュースであることは間違いない。
どこからともなくクリスマスソングが流れ心安らぎ、各種各様のイルミネーションが街を暖か照らす。
この演出がカルテット再結成の前座のように思える。