大阪某所、年配の親方さんを囲んでの打ち合わせ。
手続きの日付について親方さんにはこだわりがある。
大安がいいと言う。
その線で役割分担とスケジュール調整をしていると、同席していた某社の某君が口を滑らせた。
いまどきは大安かどうか気になさらない方も多いですよ。
それで親方さんの堪忍袋の尾が切れた。
典型的なお調子者といった雰囲気の某社の某君、軽さが少しばかり目に余っていた。
「ゴキゲン鳥」も度が過ぎればその鳴き声が耳に障る。
親方さんの苛立ちは限界に達しつつあった。
だからなんでもないような言葉すら聞き逃せなかったのだ。
親方さんが一喝する。
おまえ誰やねん。
おたくに仕事を頼んでるんちゃう。
あんたの会社に用があるんや。
会社の看板なかったら、あんたには何の用事もないわ。
わたしも大阪は長い。
こんなやりとりは見慣れた光景だ。
某社の某君の様子を見物する。
果たしてどのように反応するのだろうか。
やってられるか、そう啖呵きって立ち去るだろうか。
しかし彼は踏み止まった。
彼も伊達に某社の某君ではない。
こんなことで感情のバランスを崩していてはとても会社生活など続けられない。
神妙に頷いて話を聞き、無思慮な言動があったことをいかにも沈痛といった表情で侘び始めた。
火消しにおいては素直に謝るのが最良。
親方は矛を収めざるを得ない。
何事もなかったように場の天候が回復し始める。
わたしはチラチラと某社の某君の様子を観察し続けた。
謝ってはいたが、腹は異なるに違いない。
僕にはウラオモテがあるんだ、彼の顔にそうはっきりと書いてある。
親方の仕事をちんまい事業だと小馬鹿にしているに違いない。
陳腐な物言いで鬼の首でも取ったつもりかと親方のことを嘲っているに違いない。
そして、面と向かっては、よいしょこらしょとおもねり続ける。
強きにへつらい、弱きをいやしむ。
絵に描いたような小物風情と言えば、某社の某君についてイメージしやすいだろう。
無事、打ち合わせが終わってにこやかな雰囲気での解散となった。
某社の某君は立ち去った。
踵を返した瞬間、彼の笑顔はあとかたもなく消え去っていたに違いない。
古びたビルの階段を降りていくその背を見つめる。
大安といったようなものを頼りにする者と、会社という後ろ盾のある者という対比の構図がそこに浮かび上がる。
一体全体、心許ないのは果たしてどちらの側であろうか。
おまえは誰だと問われ、一粒の原子のような存在はその粒の名を答え、巨大な物質の一端を成す者は物質名を答える。
吹けば飛ぶよな一粒であるからこそ、大安や仏滅だのといった迷信にすら用心深くなる。
一員である限りにおいてはどっしとした物質の一部である方がどう考えても安心だろう。
しかし、局面は変わるかもしれない。
物質を離れての一粒勝負となったとき。
長く一粒稼業で叩き上げた者は手強く、そう簡単には屈しない。
一粒でも強い。
子らについてはぜひ、そのように目指してもらいたい。