子にスポーツをさせればアディダスやナイキといったブランドを好むようになる。
日頃着るものには頓着しなくてもスポーツという局面においては感性が活性化されるのだろう。
美意識のようなものが芽生え子供ながらに様々なブランドに対し価値評価を行うようになる。
うちの場合、最初はアディダスだった。
わたしたちの子供時分からの不朽の定番。
スポーツ用品の最高峰と言えば三本線のアディダス。
その地位は確固として揺らがない。
だから二本線などまやかしにも程があるといったパチモンの極みであった。
星光33期の体操服は、発色系の緑に白地の二本線。
悪意あってもここまでのダサさは具現できない。
サタンの仕業としか言いようがない代物であった。
月日が経過し、アディダスの人気に衰えはないものの、新興勢力が大躍進してきた。
その名はアンダーアーマー。
ラグビーチームのなか屈強な者らがアンダーアーマーを身につけはじめ、それにダイレクトに影響されて子らの関心もアディダスからアンダーアーマーへと移っていった。
いつしか何もかもがアンダーアーマーという徹底ぶりとなった。
内にまとう鎧。
ブランド名の由来を知ってか知らずか、アンダーアーマーを着ることが彼らの意識に何らかの作用をもたらすようであった。
鎧を身に付けるのであるから、そりゃ心強いであろう。
しかしそれも一時期のはしかのようなものであった。
やがては、誰もがそうであるように、ブランドへのこだわりは消え相対化されていった。
アンダーアーマーも着ればユニクロも着るしラルフローレンだって着る。
着るものなど用が足りれば何でもいい、といった風に視点の次元が上がったということなのだろう。
成長するにつれ視野が広がり意識も高まって、あれやこれや忙しくなる。
そうなってまで何かのブランドに偏執的にこだわるとすれば、ある種の依存のようなものとも言えるだろう。
であれば、あまり笑えない。
自分以外の何かについてそれを頼みとするようなメンタリティではおよそ男子は務まらない。
自らを頼みとすれば、着るもの身に付けるものなどに対しては無頓着になっていく。
実用に堪えさえすればいいだけのこと。
何を身につけているかなどさして問われることはなく、要は中身とはよくいったもので、その眼が何を見据えているのかだけが男子の値打ちを決めるのだろう。