4月5日付けの朝日新聞のインタビュー記事を取り分け食卓に置いた。
子らも必ず目を通さなければならない。
タイトルは「ホロコーストの教訓」。
ティモシー・スナイダー教授の著書「ブラックアース」が紹介されている。
これまで漫然と得てきたホロコーストについての認識は思い込みが過半を占めていたと知ることになった。
えっと驚くような記述に目を見張る。
殺されたユダヤ人のうち97%はドイツ国内にいたわけではなかった。
100万人が虐殺されたアウシュビッツは虐殺を代表する場所ではなくその何年も前から虐殺は始まっていた。
虐殺の犠牲者の約半数は収容所どころか市民ら公衆の面前で殺されていた。
ソ連に続いてドイツが侵攻してきたことにより、バルト三国やポーランドには無法地帯が生じていた。
根無し草となった多くの市民が虐殺の求人にこぞって応募してドイツに協力し、虐殺は酸鼻を極めた。
つまり、虐殺が加速拡大していった背景には、国家秩序が揺らぐ東側において生き残りの危機を煽られた市民の存在があった。
国家が破壊されなかった西側とはあまりにも対照的であった。
東西において、市民の振る舞いは全く異なるものだった。
そういった記述の箇所に赤や青で囲みをつける。
ヒトラーが唱える理念を信奉しドイツ市民が虐殺に協力していった、とわたし自身は思い込んでいた。
理性あるように思えるドイツ人がなぜそのような残虐非道に加担したのか、どのような映画を見ても話を聞いても納得いくことはなく、ただただ人というものの暗部に潜む暴力性の底知れなさに慄くばかりであった。
今回この記事に触れて、少しばかりは虐殺の発生するメカニズムが理解できるような思いがした。
国家秩序が崩壊していく過程において、生存パニックに陥ったとき、人は殺人者に変わり得る。
自らが生き延びるため、そう切羽詰まれば人は人を殺す。
社会が不安定となり、生存を脅かされるような切迫感を抱くケースなど、状況によってはいつだって起こることであろう。
そこにヒトラーのような存在が出現すれば状況にマッチする。
号令かければ人々は自身が生き延びるため歓声あげて殺戮に向かう、ということになる。
条件が重なれば今後もいつだって起こり得る。
周囲どこを見渡しても候補地だらけ。
ホロコーストは決して歴史上まれに見る特異な話というわけではなさそうだ。