昼以降は降水確率100%という予報であったが、ひと雫の雨滴もなかった。
晴れ間さえ見える午後であった。
持ち歩いた傘は結局お荷物となっただけであった。
仕事を終えての帰途、ちょうど二男をピックアップしたところで雨が降り始めた。
彼にとってはドンピシャ絶妙のお迎えであったと言えるだろう。
ワイパーが雨を掻き模糊となる視界がクリアになって、滴る雨によってまた模糊となる。
ヘッドライトやら往来のネオンやらが黒く濡れた路面を色鮮やか照らす。
様々な色の光が膨らんだり縮んだり明滅するなか、二男と隣り合わせ音楽に聴き入る。
選曲は二男。
先日の合宿では友人と音楽の話で大いに盛り上がったという。
クイーンにエルトン・ジョンにビリー・ジョエル。
おそらく父親が同じ年格好なのだろう。
エルトン・ジョンのグッバイ・イエロー・ブリック・ロードが流れる。
この曲を聞くと決まってあるシーンが浮かぶ。
天気のいい日には野方六丁目から大学まで一時間半ほどかけて徒歩で通うことがあった。
当時はウォークマン。
グッバイ・イエロー・ブリック・ロードにしみじみとしながら歩いた通りの光景がこの曲を耳にする度、鮮明によみがえる。
そのような話を二男にしつつ、曲が変われば変わったで、それにまつわる思い出を語る。
ビリー・ジョエルのストレンジャーが流れれば、大神さんの口笛が上手かったとか、オネスティについてはトミーさんがよく口ずさんでいたとか、そういった話であるが、二男は大神さんのこともトミーさんのことも知らないので、父親のひとり語りとして聞き流していたことだろう。
二男においても数々の場面が曲とともに切り取られ彼のなかに貯蔵されていくことになる。
帰宅するが雨なのでジョギングはお休みとする。
食事終え、ミントのアロマで頭皮と首筋をマッサージしてもらう。
耳にもツボがあって丹念に指圧してもらい手揉みしてもらう。
耳が産まれたてホヤホヤのように柔らか温かとなって、疲労が癒える。
そして、仕上げは晩酌しつつ半眠りでの一人金曜ロードショー。
「パリよ、永遠に」を見る。
ドイツ軍がパリから撤退する際、ヒトラーは街を廃墟にするよう命じていた。
ベルリンが連合軍の空爆によって見る影もなくなったように、パリも同じ目に遭わせようとヒトラーは考えたのだった。
パリの破壊を踏み止まらせるため、中立国であるスウェーデン総領事がドイツ軍司令官に対し説得を試みる。
緊迫した中、高度な心理戦さながらの交渉が繰り広げられる。
命令に従わざるを得ない者と、何としてもパリを守ろうとする者との言葉の駆け引きは見応え十分で、わたしの眠気は吹き飛んだ。
はたして、世界観光ランキングのなか揺るぎなく一位であり続けるパリの街は守られた。
かろうじて命脈保ったパリについての史実を知れば、さらに尚更、彼の地への恋慕は深まるというものだろう。
いつか子らも訪れる。
その際は「パリよ、永遠に」を必ず見てから出かけるようにした方がいい。
ついでに言えば、街を散策する際に耳にする音楽にもこだわったほうがいい。
いついつまでもパリの街を眼前に鮮やか甦らせる曲となる。
ノートルダム大聖堂やエッフェル塔やルーブル美術館やセーヌ川にかかる橋などと同居する曲となるのだから心しなければならないだろう。
ああ、パリ。
わたしもいつかゆっくり連れ合いと。
そのように夢見心地で眠りについた。