KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ぽつりぽつり会話し過ごす日曜日

普段よりゆっくり目の起床となった。
朝6時半。
支度して家を出た。
朝7時。

日曜朝の道はガラ空きで真っ直ぐ先の先まで青信号が続く。

二男とともにFMに耳を傾ける。
近日来日するというジャーニーの曲がいくつか流れる。
いいねえ、と言葉を交わす。
いいものは世代を超えて受け継がれていく。

先日のUSJはやはり彼らが一番のりであったそうだ。
平日の朝5時半。
物好きにもほどがある。

丸一日遊んだが、しかし二男にとって気持ちそそられるようなものは何もなく、やはりどうしても面白い場所には思えなかった。

長男も同じ。
彼の場合も小さい頃から一貫してUSJは関心の外、常にそっぽ向いていた。
二男と同様、友だちとの付き合いで何度か足は運ぶものの、淡々と過ごすのみ、興じることは全くなかった。

両名ともに子どもだましが通じる相手ではなく、着ぐるみが踊れば、なかで汗し涙する人物に思いが向いて神妙な面持ちになってしまう。
邪気にはしゃぐなどできるはずがない。

実はわたしも同類。
たまごが先かにわとりが先か。
この場合はにわとりが先になる。

生活圏内にあるUSJはもちろん、短くない東京暮らしの間、ディズニーランドさえのぞいたこともない。

遊園地と言えば学生時代に豊島園と花やしきにそれぞれ一度ずつ訪れたきりである。
これも彼ら同様、付き合いで仕方なくという類の話だ。

記憶の地層の奥深く、掘り返されることなど皆無であった思い出がひょんな拍子で顔を出し、二男との会話の俎上に載ることになった。
ああ懐かしい。

そのようにポツリポツリと会話し、静かな一日を過ごす。
松屋で朝食をともにし、やよい軒で昼食をともにした。
まるで学生の連れ同士が過ごしているような日曜だ。
実際、星光33期と66期ではαもβも数学の先生が同じなのでそこで通じて連れと言っても全く違和感がない。

ときおり伝えられる西大和高一御一行の様子にも目を配る。
無事にベトナムに入ったようだ。
ベトナムと言えばシクロ。
彼ら皆そのベトナム版人力車に乗って街を駆けた。

ホーチミンの風を全身に浴び、発展目覚ましい街並みに目を丸くする彼らの様子が思い浮かぶ。
異国の風は若き血潮に滋養満点。
生涯その風の匂いを忘れることはないだろう。

夕刻、二男とともにぼちぼち帰宅。
どこかへ出かけた訳でもないありふれた一日ではあるが、こうしてその断片を記せば、あとで読み返して味わい深い。

時が経てば経つほど熟成されて飲み口が良くなるお酒のようなもの。
日記の形で採取していつか酔うため取っておくのも、そう悪くない趣味に思える。