結局、体調を崩したままの3連休となった。
明日は始業のホイッスルと同時に四方八方から一斉にボールが飛んでくる。
曲芸さながらの球さばきを見せねばならず、全神経を仕事に割り当てることになる。
だからちょうどいい。
いったんは起き上がって活動する態勢を整えたが、撤収。
不調に甘んじ連休最終日はしっかりと休むことにする。
家に帰れば家族がいる。
各自食べたいものなど聞いて買い揃えながらぶらりと帰る。
うなぎや刺身などを想定していると、早速リクエストが寄せられた。
全会一致、さね松の寿司がいいというので一箇所で済み手間が省ける。
わたしも賛成。
くたびれ加減のときには和食が一番である。
昨日、朝日新聞Globeに『100歳までの人生設計』という特集記事があった。
そのなか2007年生まれの日本人の半数が107歳まで生きるという予測が紹介されていた。
今夕の食卓は100歳談義となりそうだ。
ほんとうに早いものである。
息子二人をチャリンコの前と後に乗せわっせわっせと漕いでいたのは、ついこのあいだのことであった。
それがもうまもなく二人揃って高校生となり、そして、この先の各自の人生についても取り上げる時期となった。
悠々と100の年月を満喫する彼らであろうが、社会は80の年月仕様で構築されているからその差について触れない訳にはいかない。
100歳まで生きるのであれば、65歳まで雇ってもらってもそれがどうしたという話でしかなく、単に老いた65歳であればその後雇われること自体簡単な話ではなく、その歳になって懇願して雇ってもらうというのも臍を噛むような話であって耐え難い。
老いても慌てることのないよう「雇われる」という受け身が孕むリスクについて早くから知って準備しておかねばならないだろう。
天才上岡龍太郎は弁護士である父にこう言われたという。
「雇われるな、制服着るな」
わたしにとって、テレビで耳にしいまも記憶に残る数少ない言葉の一つである。
子らにとってもいつの日にか思い出す、示唆に富む言葉になるのではないだろうか。
今夜は雨模様のようである。
早めに寝床に入るのに恰好だ。
遠くに雨音聞きつつ横になることほど幸せな時間はない。
そこに子らが暮らす気配が混ざる。
言うことなしである。
明日は、八分加減で頑張ろう。
百歳にはほど遠くてもまだまだ先は長い。
無事是名馬、多少見劣りあっても続けることに意義がある。