午前中に用事が何もなかったのでさっさとジムを済ませた。
シャワーを浴びて着替えると間もなく正午。
鮨屋の店先で恵方巻が販売されていて、それを昼にすることにした。
同じく巻寿司を買い求める客のなか見知った顔があった。
ここら界隈で一人過ごしていると同類同士だんだん顔なじみになっていく。
もちろん知った顔だからといって言葉を交わすことは一切ない。
おそらくその方は独居老人なのだろう。
早朝のなか卯に行けば必ず見かける。
杖つきながら休み休み歩いてその老人は店に現れる。
牛丼屋はいまや独居老人の命をつなぐ社会インフラであるといって過言ではないだろう。
背を丸め朝食をとる老人の姿を見るたび思う。
年取れば、やはり寂しい。
午後の仕事を終えるとすっかりあたりは暗くなっていた。
昨晩は大阪王将で腹を満たしたので、今夜は被らぬよう駅前の京都王将を選ぶ。
そこで見かける顔ぶれもだいたい同じ。
同じ釜の飯を食う仲であるが、各自が独り身のようなものであって交流することは一切ない。
ふと、杖つく老人のことを考える。
そう言えば夜に見かけたことはない。
その姿を想像し、暮らす様子が頭に浮かび、それがわたしの老後の自画像であるのかもしれないと気づく。
普段、仕事の煩忙で掻き消えているだけで、しぶきあげ泡立つ波紋がおさまれば、そこに横たわる未来図が明瞭になって見えてくる。
わたしは予備軍。
下手すれば最短距離の場所にいる。
人生の最晩年、仕事は同居人とはなり得ない。