近くを通りかかったので、実家に寄った。
顔を出すのは二ヶ月ぶりのことだった。
両親ともに元気そうでなにより。
ジムに通えない間、父はウォーキングに励んでいた。
ちょうどいい傾斜の石段が散歩コースにあり、そこを二段飛ばしで駆け上がるのを日課にしていたという。
まもなく78歳。
祖父が亡くなった年齢に並ぶことになる。
そこから先は、どうなるのだろう。
単独行のようなものだと父は言う。
父の笑顔を見て思う。
わたしも少なくとも78歳には到達するのだろう。
そこまでは祖父がいて父もいる。
心のなか伴走してくれているようなものである。
が、祖父の年齢を超えまた父の年齢を超えたとき、そこから先はひとりで行かねばならない。
そうなったときの寂寥感が分かるような気がした。
母も朝に夕に毎日歩く。
足腰が命の活力を司る。
だから、雨が降っても欠かさない。
歳をとっても自らに何かを課す。
それが当たり前なのだと両親からわたしは学び、ちょうど昼時、お好み焼きでも食べようと誘われたが、ゆっくりもできなかったのでまた来ると行ってわたしは腰を上げた。
一日の業務を終え、夕刻。
前日サウナに入っていた。
連日だと気が進まない。
が、次の日の午前中にとどめを刺さねばならない書類があった。
汗をかきたい訳ではなかったが、コンディション整え仕事の質を保つためわたしはサウナに向かった。
サウナでトシちゃんの『ハッとして!GOOD』が流れ、閃いた。
夕飯をどこで食べようか逡巡していた。
飯屋か飲み屋か。
そんな迷いがサウナの熱とトシちゃんの歌声で氷解したのだった。
餃子の王将があるではないか。
王将なら飯屋であって飲み屋とも言える。
王将こそ、両方の要素を兼ね備え孤食者の夜におあつらえ向きの場所と言えた。
風呂をあがって、西九条の大阪王将。
カウンターに腰掛けて、餃子を頼んでビールを飲んだ。
少しばかりガヤガヤとした感じが実にいい。
人のなかにいるということにやすらぎを覚えた。
夜飯はこうでなければならないだろう。
そして、なんという偶然。
ここでもトシちゃんの『ハッとして!GOOD』が流れた。
この曲に導かれ王将にやってきたようなものである。
わたしは生涯、この日のことを忘れないだろう。
ハッとしてグッときて、と口ずさみながら帰途につき、途中、長男と電話で話した。
仕送りを振り込んだとき前月分が丸々残っていた。
バイト収入があるし、お金はなるべく使わず貯めているとのことだった。
そうかそうかと目を細め、様々なものが流動的となっているがしっかり前を向いて頑張っていこうと互い励まし合った。
家に着くと二男が風呂に入っていた。
扉越ししばし会話した。
さっさと大学生になろう。
そのとき男三人、新しいMacBookを買い揃えよう。
住む処も探そう。
服も買わねばならない。
自転車もいいのを選ぼう。
そんな話をしていると、希望に胸が満ちた。
それで気づいた。
春、息子が大学生になる。
それはわたしにとっても胸躍る門出も同然なのだった。