日曜だからストレスレス。
普段よりも早くに目が覚めた。
未明の時刻、事務所へ向けクルマを走らせる。
FMからリストの名曲ラ・カンパネラが流れる。
ピアノの音が耳に心地よく、日曜の出だしに弾みがつく。
ふと昔読んだ新聞記事のことを思い出した。
一人の男性が叫び声をあげつつフェリーの甲板から夜の揚子江に飛び込んだ。
よほど屈強だったのだろう。
男性は岸に泳ぎ着き一命を取り留めた。
なぜ飛び込んだのか。
女房の小言から逃れるため、というのが理由だった。
もうやめてくれ。
彼はそう叫びながら客室から走り出し、耳塞いだまま悠久の大河に身を投げたのだった。
日曜未明、あたり一帯ひとの気配なく静まり返っている。
小気味いいピアノ曲に陶然としつつハンドル握り、その男性について考える。
耳の奥に居着いてしまったノイズからはなかなか逃れられないものだろう。
あれから10年、いまも男性は心の平安からはほど遠く、やめてくれと叫びながらあちこち飛び込んでいるのではないだろうか。
その昔、聞いたことがある。
五感の原初には触覚があって、それが分化し、嗅覚や味覚、聴覚、そして視覚が生まれた。
もとを辿れば、匂いも味も音もそして光や色も、触感に還元されるという話であり、つまり、頬なでる風はもちろん草木の香りや野鳥の鳴き声、窓から差す光などすべてが、肌合いという感覚に起源を持つことになる。
まもなく朝の光が街に溢れ出し、日曜日の幕が開ける。
揚子江に飛び込んだ男性の話は、明け始めた空の向こうに消え去った。
優しい肌触りに満ちた一日となりますように。