実写ではあるが上質な紙芝居を見ているよう。
1シーン1シーンすべてが見せ場。
単にタバコを吸うシーンだけでも味わい深く、居合わせる者らの胸のうちが紫煙となって画面に満ちる。
各シーンをじっと凝視し噛み締めるようにしてストーリーを追う。
場末感漂わせる音楽が随所に流れて哀愁誘い、その映像世界にずっと浸っていたくなる。
アキ・カウリスマキの作品を観る場合はいつもそうなる。
新作『希望のかなた』もまたアキ・カウリスマキ風味が満載の名作であった。
主人公リカードは内戦激化するシリアを脱しヘルシンキに流れ着いた。
家族はみな死んだ。
生き別れた妹を探し出すことだけが生き甲斐であり彼にとって未来はそこにしかない。
行政はそっけなく無愛想であり、難民に対し暴力振るう一派がいるのはヘルシンキも例外ではない。
リカードの背後には常に暴力の影がつきまとい、そして難民の認定も得られない。
が、小さな善意がバトンリレーのように連なってリカードはシリアへの強制送還を免れた。
アキ・カウリスマキの映像世界にひたるうち、人が有する善きものについての根深い記憶が呼び覚まされる。
そうそう、わたしだってこのような善きものに触れてきたし、いまもなおそのような善きものに支えられている。
日常に埋没して感度が鈍っているだけで、曇りなき目で見渡せば、わたしたちはその善きものが張り巡らされた世界で生きていると分かる。
ラストシーン。
ハッピーエンドかどうかは観る者に委ねられる。
腹を刺された主人公はひとり川向うを眺めている。
誰にも迷惑をかけられない、そう思うからこそ一人なのだろう。
傷口を手で押さえながら美味しそうにタバコを吸っている。
微笑すら浮かんでいる。
彼を助けてくれた人々の善意を思えば微笑も浮かぶであろうし、人が有する善きものを信じることができるなら妹の行く末だって何も心配はいらない。
善き社会であれば、主人公リカードはまた手を差し伸べられるであろうし、やっと出会えた妹も救われる。
その先の結末はわたしたちが作る社会がどのようなものであるのかにかかっている。
アキ・カウリスマキが託す思いがラストシーンに詰まっているように思えた。