なかなか塾には行きたがらず、なんとか説き伏せ夏が終わって入塾させたはいいが、勉強に全く身が入らず超低空飛行。
そんな話を聞いて一ヶ月。
一気に算数が伸びて上位に躍進、上六のクラスにも呼ばれるようになった、というのだから、わたしの言ったとおり。
友人はみな賢く、その息子もみな賢い。
だから予想は外れず、待てば海路の日和あり。
ちょっと乗せれば勢いづいてたちまち頭角を現すことになる。
それに加えて真面目な親が二人がかりでフォローを欠かさないから、上がった凧は順風受けてますます高空を駆け上がり、元気にはためくことになる。
しかし、周囲見渡せばそんな凧ばかりであり、凧の上にも凧がある。
上がっても上がっても上には上があってキリがない。
高さ競うのも凧の醍醐味であろうが、その反対、高さ競うばかりが能ではないと路線切り替え、ほどほどの高さで余技を磨くのも知略に長けた選択と言えるのではないだろうか。
もしかしたらその方が、最上位で生きるよりはるかに楽しく満喫した人生を送れるかもしれない。
上に行き過ぎればひとりぼっちになってつまらない。
そんな風に、すっぱいぶどうのたとえを前向きに活用し、ほどよい場所に身を置いて、好きな風にするのも魅力的な生き方のように思える。
あとは、真面目に育ててくれた親に感謝し、たまに友だちらと集まって美味しいものを食べ、夫婦の仲が良く、授かった子が元気であれば言うことなしである。
あれこれ高望みするような生き方よりも、ほどよいところで安らぐ方が、気の流れがよく運の巡りもよくなって、それが子らへと伝わる循環もいい、という気がする。
平均回帰という現象が存在するように突出すれば反動がくる。
子に反動があっては、たまらない。
それなら親として貧乏くじ引く方がはるかにいい。
長い目で見て親もほどほど子もほどほど。
それに越したことはなくそれが無難。
ほどほど教というものがあればわたしは家族伴い入信することだろう。