『受験は母親が9割 佐藤ママ流の新入試対策』との書名に目が留まり買って帰って家内とともにざっと目を通した。
親が志望校を間違える、という箇所があって夫婦揃って頷かされた。
間違いの元は見栄だという。
赤ワインを注ぎ合いつつ家内と二人、見栄について語り合う夜となった。
冷静に子の力を分析すれば、とても手が届かない。
それなのに親が高望みし子に無理をさせてしまう。
気持ちは分かる。
高い月謝をつぎ込んできた。
中学受験をするのだと周囲に吹聴し、それなりに注目を集めている。
知人や親類が結構いい所に合格していてそれが普通に見える。
世間体に焦点が合わさって、肝心の子の実力には目を塞ぐ。
ほとんど動物といったレベルで勝ち気な母に当たってしまうと子にとっては運の尽き。
結果、数打つもすべて外れて全落ち伝説が生まれることになる。
希望した学校すべてに袖にされるのであるから痛ましい。
が、親の不徳か、陰では面白おかしく語られる。
残酷にも揶揄の対象となる背景には見栄がある。
見栄にまつわる自己顕示の高転びほどコミカルなものはない。
箸が転がるよりはるかに滑稽。
だから不謹慎だと頭では分かっていても、失笑を抑えがたいということになる。
しかし、日夜努力し受験に挑んだ子の方は、たまったものではない。
子にとっては芽生え始めた小さな尊厳が踏みにじられたようなものである。
酷い目に遭ったという他なく、一体どうしてくれるのだ、責任者出てこい、といった話だろう。
全敗で喫した傷が浅いはずはない。
戦意回復には時間がかかる。
やがて奮起できるにしても、皆が健やか過ごすなか怨念を持つみたいで重々しく、あまりいいこととは思えない。
もし自己肯定感が損なわれたままになってしまえば、先行き長い人生に影が差すのも同然。
あらゆる局面において自身を低く見積もり、だから周囲からの評価はもっと低いものになっていく。
子には向き不向きがあり、それぞれに見合った時期がある。
適性に応じた勝ち筋へと子を導き励まし節目ごと祝福するのが親の役割と言え、そこに見栄など介在させればとんだ仕打ちとなりかねない。
自信に満ちて明るく元気。
子を授かったときそれ以上のことなど何も望まなかった。
親は折々、初心に返るべきだろう。

