一気に冷え込み、もはや短パンとTシャツでは過ごせない。
日本中が震えて目覚めたであろう日曜の朝、家内とともに芦屋のロイヤルホストに向かった。
朝食を食べて後、家内は勉強に取り組み、わたしはパソコンを開け長男の試合の動画に見入った。
ラグビーを見ればよく分かる。
物事は簡単には進まない。
こっちも必死で相手も必死。
必死の応酬のなか、諦めれば相手の必死に呑み込まれて万事休す。
粘りに粘って、それでやっと僅かに活路が仄見える。
仕事も同じ。
いろいろなことが降りかかり、思い描いた道筋に幾つもの障害が立ちはだかる。
ぶつかったりかわしたり、必死にならねば前へと事は進まない。
家内と話す。
ささやかであれ、積み上がっていくという自動的なメカニズムがいつの間にか家の中に生まれて根付いたのだと思う。
ヨガのトレーニングをこなし、英会話の練習を欠かさず、折々目標を設定し勉強にも時間を割く。
取り組む対象は違ってもそんな家内の姿勢は昔から一貫していて、それが家庭の基調を作り、だから子らも子らでちっぽけなことであっても何かを少しずつでも積み上げるという流れに乗ることになったのではないだろうか。
昼を過ぎ、芦屋ラグビーのセカンドジャージを着た少年が家族とともに現れた。
息子たちを通わせた当時のことを夫婦して思い出した。
間違いなく彼らの気力と体力は芦屋ラグビーによって培われた。
練習はハードだったが、子らの背を押しそれに立ち向かわせた判断は親として正しかった。
年々その確信が強まっていく。
空調によってだんだんカラダが冷えて疲労が募った。
ロイヤルホストを後にしそこらをドライブし買い物を済ませた。
冷えていたから、後半の過ごし方はサウナで決まりだった。
それで西宮の熊野の郷に向かったが、駐車場が満杯でかつ次々とクルマがやってきてその混雑の度に気圧された。
さっさと諦め隣町の風呂に入ることにした。
芦屋の水春までクルマで15分ほど。
選んで正解だった。
はるかに快適で過ごしやすく、よいリフレッシュとなった。
帰途、家内が言った。
かなり美人度が高かった。
ということは、ここが合っている。
次からも、風呂はここにしようとわたしは言った。
家で家内が肉を焼き、わたしは人参を千切りにした。
ワインとノンアルコールビールで乾杯し、子育てを振り返って何かしみじみとしたものを感じ、飽くことなく思い出にふけった。