KORANIKATARU

子らに語る時々日記

地下鉄で見かけた奇跡の女性

人波に押されるように車内奥ほどに入っていくと介助犬がおとなしく床に伏せているのが目に入った。

犬の間近には迫らぬよう、わたしはそこで足を止め吊り革につかまった。

 

こう見えて犬が怖い。

ちなみに注射も怖いし高所も怖い。

それら怖いものを完全に避け切ることは不可能で、なんとか折り合いをつけながら日々を生きている。

 

犬に視線を向けると度々目が合う。

いいヤツだという直感は働くが、混み合って人の圧を受けても、わたしはそれ以上近づかない。

 

昭和町の駅を過ぎたとき、電車に酔ったのか地下鉄に不慣れなのか、その介助犬が吐き下した。

人がするような液状なものではなく、どちらかと言えば固形に近い。

だから匂いもなくグロテスクにも見えなかったが、周辺の乗客は揃いも揃って後退りし、犬を遠巻きに囲むドーナツ状の空洞がそこに生まれた。

 

飼い主は慌てた様子だった。

買い物袋に犬が吐き下したものを素手でかき入れようとする。

が、椅子に座ったままの姿勢なので、ままならない。

 

天王寺駅に着き、何も知らない乗客が入ってきた。

様子が変だと気づいた途端にそれら乗客は皆が皆、目を背け即座その場から遠退いた。

 

しかし、たった一人、その場に留まった人があった。

まだ二十代はじめ頃だろう。

身なり上品に整い、楚々とした雰囲気の女性であった。

 

女性はその場にかがんで、大丈夫?とまずは犬をいたわり、頭をなでた。

次に飼い主に対し気遣うような優しい笑顔を見せた。

 

そして何ら迷うことなく、バッグからティッシュを取り出しその場所をキレイに拭き始めたのだった。

 

数歩離れた距離からその光景を見てわたしは胸を打たれた。

 

財布からこぼれ落ちた小銭を皆で拾って集める。

そんな光景なら当たり前だろう。

 

全く関係のない、たまたまそこに乗り合わせただけの若い女性が一切躊躇なく犬の粗相の跡を掃除し始めるなど想像さえできないことだった。

 

皆で食事した後、姿消して後片付けさえしない無精者も少なくないこのご時世にあって、奇跡のような女性と言えた。

 

まもなくなんば駅に到着し、わたしはその場を後にしたが、家に帰っての話題はこれで決まりだった。

 

夕飯は、もみじおろしとねぎをたっぷり添えたブリしゃぶ、ふっくらふわふわの岩牡蠣、そしてホタテのチヂミとタコのチヂミ。

焼酎のお湯割りをちびちびやりながら、家内に電車で見た光景について話した。

 

そんな女性が嫁に来てくれれば万々歳だろう。

家内と意見が一致した。

 

しかし、そうなるとうちの愚息にはもったいなくなくて不釣り合いという話になる。

わたしたちは息子二人の間抜け面を思い浮かべ夫婦して申し訳ないような思いとなった。

 

こんな息子ですいません、と謝ればいい。

しばらく考えた後で家内がそう言った。

 

なるほど、謝ればいい、そうだ、そうだと、わたしは応じ、その不均衡を棚に上げ、わたしたち夫婦は不確かな希望に胸を弾ませた。

 

ふつつかな息子たちの頭を撫でて笑って許す寛容がそんな女性には備わっているに違いない。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20181211103900j:plain

2018年12月11日朝 洗面台にあった昔のボールペン