ジムを終えて西宮北口駅の北側の繁華街に出た。
ちょうど浜学園の低学年の授業が終わったところだったようで、巣から一斉に飛び出す小動物みたいに、おびただしい数のちびっ子たちが駅へと向かって一目散、駆け出していた。
その勢いやすさまじく、うっかりすれば大人でもその流れに足を取られ駅へと連れ戻されてしまうだろう。
わたしはリズミカルにステップを踏んで、小さな肉弾をかわして歩いた。
子どもたちだけではなく、そこには迎えに来たのであろう幾人もの若きパパやママの姿もあった。
皆が皆、とても見栄え良く、身なりよく、ハンサムで長身、痩躯で美人であったから、目を引いた。
こんなのと雌雄を決するのだとすればあまりに酷。
中学受験の無理ゲーの度が如実に視覚化されているも同然だった。
その光景がピシャリと言う。
頭が高い。
わたしは下々の民。
ははあと素直にこうべを垂れて、小動物の邪魔にならぬよう、視界に入った適当な店へと退避した。
この夜、家内が留守だったから、わたしは羽を伸ばすことにしていた。
羽を伸ばすと言っても居酒屋でビールを飲むくらいのものであるからかわいいものである。
ところが、事態は一変した。
軽く一軒目で飲み、真隣にある二軒目に移って飲み直し始めたそのときであった。
「ご飯、用意している」とのメッセージが家内から届いて、伸びかけていた羽が一気に縮んでわたしは慌てふためき、そのはずみでそこにいた店員に窮状を愚痴た。
「食事を用意してると女房からメールが届いた」
そうこぼすわたしに店員は優しく言った。
それはいけませんね、すぐに帰った方がいいですよ、息せき切るくらいの勢いで。
餅は餅屋とでもいった的確な助言に感謝の念を伝え、わたしは会計を済ませてすぐに店を出た。
夜になって熱気は影を潜め、外には涼風が吹き始めていた。
心地よい夜風に吹かれて唐突に思った。
ああ、これがわたしの日常。
そして、その日常に愛おしさを覚えた。
先日は隣国の地にて、多くの平穏な日常に触れた。
見渡せばあそこにもここにも日常があって、かつてわたしたちがそうであったように昔ながらの日常もあって、それらがささやか息づき、同時進行している。
そんな様子を思い描くと、我が身の日常を超えて、誰しもが有する日常への普遍的な愛のようなものが心に芽生え、行き着く先はみながみな幸せでありますようにといった思いだった。
そんな思いにじんとしながら家に帰ると幸い、家内はオンライン英会話の真っ最中だった。
わたしはリビングには長居せず、食事をお盆に載せて自室へと引きこもった。
そして、すかさずカバンに忍ばせてあった缶ビールを開けた。
家内からすれば「いま部屋で飲み始め、食べ始めた」としか見えないだろう。
これでおそらくわたしが二軒はしごしてきたことは女房にバレない。
部屋で羽を伸ばしつつ、しかし、そのためわたしはいつもより多く飲み、多く食べねばならなかったから、羽を伸ばすのも楽ではないと実地で学ぶことになった。