わたしが天王寺で用事を終えたとき家内は梅田にいた。
では、ということで待ち合わせることにした。
わたしが環状線の外回り、一方の家内は内回りに乗り、ちょうど旅人算の要領で途中の野田駅で合流した。
寒い夜、韓国料理がその美味しさを増す。
だから向かうは家庭料理チヂミ。
先ごろ南森町から野田の駅の真ん前に移転してきた店である。
カウンターに並んで座ってわたしはビールと言い、後は家内が注文するのに任せた。
熱々のチゲがほどよく辛くてパンチあり、肉感たっぷりのプルコギは食べごたえ十分。
山盛りのサラダが新鮮で舌をリセットする役目を果たし、わたしたちは何度も初心に返ってパンチと肉感を味わった。
それで十分満足。
お腹も膨れた。
店名にあるとおりチヂミが売りの店ではあったが、今回は注文を断念し次回の楽しみに取っておくことにした。
小雨降るなか家路についた。
ちょうど電車が混み合う時間帯であった。
二人並んで吊り革につかまるが、わたしたちの視線は揃って前のおじさんに向けられた。
混んでいるのに足を前に突き出し組んでいる。
少し揺れればその靴底がこちらのカラダに触れる。
それほどの至近距離にあった。
気の荒い人なら「足邪魔や」とその靴底を蹴るのであろうが、わたしは品位あるデスクワーカー。
そんな場面は頭に思い浮かべるだけに留め、家内と二人でその突き出た靴底について話し合った。
靴底が間近に迫ることは不快であるが、悪意あってのことではないだろう。
おそらく腰かどこかの具合が悪く、それをかばうため無意識裡に足が前に出ているのに違いない。
その靴底に目を落としながらわたしは家内にそう言って、家内はふむふむと頷いた。
一見、行儀悪く他を害しかねない姿勢であるが、十中八九、そんなことが意図されている訳ではない。
ああ疲れた、腰が痛い、と単にカラダが叫んで制御きかないだけなのだ。
だからおじさんを非常識だと責めるのは酷だろう。
そして話は敷衍され、おじさんのもとを飛び立った。
異なるように見えて、あの自己顕示が強い見栄張りなおばさんだって、実はこのおじさんと同じようなものかもしれない。
腰が痛くて足が突き出るのと同様に、何か不具合あってやむなく自己表出が過度になる。
やむにやまれぬメカニズムが背後に潜んで、つまりは自然現象とも言え、だから本人がそれを行儀悪いと思うはずはなく、周囲の唖然と不快に気づくこともない。
わたしはおじさんの靴底に目をやりながら家内にそう話し、家内はふむふむと頷いた。
すでに組み解かれ行儀よく着地した靴底はもはやわたしたちに触れ得る距離にはなかった。
満員電車で体力使ったからだろう。
家に帰るまでにお腹こなれて、結局、食事の用意を家内に頼むことになった。
家内が手際よく支度をはじめ、家が二次会の場となった。
もちろんメニューはあっさり目。
旬の大根で甘み増すしらすおろし。
サラダには厚切りのハムがふんだん投入され、そこにチーズ、レタス、パプリカ、フルーツトマト、そしてスライスしたりんごが合わさって絶妙のハーモニーを奏でた。
焼酎のお湯割りをゆっくり静かに味わって、家内の料理に箸を運び、いつもと同様、子らの話で盛り上がった。
電車のなかで交わした話など跡形もなく消え去って、一体何足目だろう、二男が履き古した制靴の豪快なぶっ壊れ具合がこの日のトップニュースとなった。
靴もついていけぬほどの健脚ぶり。
丈夫がなによりとわたしたちは靴の写真に目を細めるのだった。