朝、家の前にある公園のベンチに腰掛けた。
一日降り続いた雨でベンチはまだ濡れていたが、ジーンズなので構うことはなかった。
今だとまだ電車は混んでいる。
空き始めるまであと10分ほど。
何も慌てることはない。
餌がもらえると思うのかハトが足元に近づいてくる。
が、ちょっと威嚇するだけでハトは踵を返す。
ハトとそんなやりとりを繰り返してふと思う。
野生の動物は、常に命の危険と背中合わせ。
つまり常に恐怖を覚える状態に置かれていて、それがノーマル。
捕食側と被食側ではストレスの度合いに違いはあるだろうが、ハラハラドキドキのストレスに晒されることが生きること、といった点は共通していると言えるだろう。
そういう意味で生き物としての人間を捉えたとき、生きることは苦である、と言ったブッダの言葉が理解できるような気がする。
昨日電車で見かけた光景がよみがえる。
若いカップルが座っていて、女性が涙をこらえていた。
辛いこともしくは悲しいことがあったに違いない。
こらえきれず涙がこぼれ落ちたとき、彼氏とおぼしき男性がハンカチを取り出し、その涙をぬぐった。
そのぬぐい方が可笑しかったのかもしれない。
ふっと小窓が開いてそよ風が吹き込んだみたいに、女性は一瞬、微笑んだ。
ストレス状態に置かれても、人の場合はちょっとしたことでそれが軽減されることがあり、その軽減は誰にとっても快である。
誰かの気遣いであったり優しい一言であったり、物事を捉える視点の転換であったり気の持ちようであったり、些細なことで小窓が開く。
公園を様々な人が急ぎ足で横切っていく。
多くは一家の大黒柱たち。
赤ん坊であればただ泣きじゃくるかのようなストレスに苛まれ、それをぐっとこらえて各自の持ち場に向かう。
歯を食いしばるのは何も自分だけのためではない。
妻がいて子どもがいて一緒に働く同僚がいて自分の仕事を待つお客さんがいる。
ハトに比べて人が抱える事情の方が複雑であるが、ストレス状態に置かれているのは同じこと。
その分、人には流れ落ちる不可視の涙をそっと拭いてくれる伴侶がいて仲間がいる。
もしそうでないなら、とてもやってられない、という話だろう。
生きることは苦である。
朝の通勤時、その言葉がとてもよく理解できる。
わたしはと言えば気ままな自営業。
ストレスもないではないが深刻になるようなストレスとは今現在縁遠く、どちらかと言えばハンカチ係に近い。
子らも現在、各自それぞれ奮闘中。
できれば涙をこらえる側ではなく、バトン一振りあら不思議、誰かのストレスを吹き飛ばす側の男になってもらいたい。