日曜朝、わたしは武庫川を走り家内はジムでトレーニングに励んだ。
朝9時半に家で合流し電車で出かけた。
行き先は息子の塾。
夏を前に保護者対象の入試説明会が行われた。
さすが大手、資料が精緻。
東大も京大も3年連続で英語が難化している。
長尺の問題を処理する要領の良さが必須で、英作については薄っぺらな知識だけではとても手に負えない。
高いレベルの英語力を身につけライバルに伍することができるかどうか。
それが最初の関門で、そのうえで数学の出来不出来が合否を分ける。
受験者の得点分布を見ればその他の科目は合格者も不合格者も団子状態。
引き離すことは難しく、引き離されなければそれで十分ということが窺えた。
要点を単純にまとめれば、数学ができなければ東大京大は夢のまた夢ということであり、たとえ数学が得意であっても当日しくじれば、さようならという話と言えた。
説明を聞きつつ、なるほどと合点がいった。
数学の選別は、すでに中学受験のときに為されている。
算数で勝負が決まり、算数ができないのにうっかり紛れ込んでしまうと苦労する。
つまり中学受験は東大京大の合否を占う一種の試金石と見ることができ、東大京大が課すハードルが中学受験の在り方を規定しているのだった。
その日目にしたデータでわたしの思い込みは正されていった。
東大京大の数学は難しく、優劣つき難くてどんぐりの背くらべ。
だから英語で勝負が決まる。
そうわたしは思っていた。
が、縦に大きく開いて上下で合否が分かれる数学の得点分布を見れば何が決め手なのか一目瞭然だった。
二年前も同様、データによって蒙を拓かれたことがあった。
長男が通う塾での説明会でのこと。
興味深いデータを見せられた。
ここ20年、少子化傾向で受験者人口は年々減少している。
しかし東大の問題のレベルは難化して、かつ合格者最低点に変動がない。
つまり東大受験は、数が減っているからレベルも低下といった単純な比例計算が成り立つ世界ではなかった。
そしておそらくこの傾向はどこにでも当てはまる。
最上位に目を向ければ受験は易化などしておらず競争は高度化&激化の一途を辿っているとみて間違いないだろう。
そんな話を思い出し、ふと疑問が生じた。
すでにある程度仕上がっている受験数学を更に時間かけて磨く必要などあるのだろうか。
いったいそれが何の役に立つのだろう。
極言すれば、入試において物を言うのは、数学よりも時の運。
まあボチボチとやることをやってあとは潔く運に任せる。
ストライクゾーンを広く、呼吸深々、おおらか明るく対処するのでいいのではないだろうか。
そう夫婦で話し合い、塾を後にした。
昼はカニ。
かねてからそう決めミナミの網元を予約してあった。
カニを食べるのには手間がかかる。
個室で向かい合い、ゆっくりと時間が過ぎ、ビールが空いてワインが空いて冷酒も空いて、カニが媒介となって会話が深まった。
まさに大人向きの食材と言えた。
心斎橋でアイスをデザートにし、買物を終え本町で締めにカレー蕎麦を食べ名物天むすを息子のために持ち帰った。
家ではドラマ。
何を観ようかと二人で思案し一世を風靡した名作を見てみようと『トッケビ』を選んだ。
まもなく、二男が帰宅した。
このところ友人らと互い励まし合って勉強に勤しんでいるという。
皆、意識が高い。
そんな話を聞いて思う。
友だちと会えたことが何より。
結婚し何が良かったかといって、子らと出会えたこと。
それと同じ。
大阪星光に入ったからこそ彼らと出会えた。
そして仲間がいれば引き続き励まし合って高め合うから、後のことはどのようにでもなるだろう。
ちなみに仲間のうち数学を苦手にする者など一人もいない。
やることをやって後は運。
そうドンと構えた方が陽気で清々しく、だから星まわりも良好に保たれるのではないだろうか。