教え子への愛情については折り紙つき。
指導における数々のエピソードがそれを裏付けている。
生徒ひとりひとりの得手不得手を綿密に分析し把握し、少しでも成績を上げてあげようと目配りと声掛けを欠かさず、要所要所で叱咤激励する。
しかし、そんな姿勢が重た過ぎる、厳し過ぎると一部から不興を買うことがあった。
発信元はたいてい勉強のできない子。
テストの点が悪いのを責められた。
宿題を忘れて凄まれた。
愛の言葉であったはずが受け手によっては暴言と成り果てる。
最大手の塾で講師のバイトに携わったことは息子にとってとてもいい経験だったと言えるだろう。
良かれとの盲目が裏目に出ることもある、そんな一粒の経験が遠い先々までの糧となる。
電話の向こうで息子は言った。
教え子たちに最良の指導をしてあげたい。
そう意気込んだ結果、自分の「地」が無防備に出た。
自分が通過してきた場所は浜学園であり芦屋ラグビーであり西大和学園だった。
すべての場所で鍛えられ、厳しさに揉まれたことで自分は成長できた。
だからだろう。
教える側に立ったとき、「厳しさ」を無条件で善であると過信してしまった。
しかし、人はそれぞれ。
能力も異なれば耐性も様々。
厳しさを誰もが肯定的に受け止められる訳ではない。
自己流は自己流な分、限界を内包している。
だから相手に応じやり方を変えねばならない。
成果を求められる塾講師という立場で、そんな当たり前を実地に学び、まもなく息子は教え子たちを中学入試の本番へと送り出す。
これにて塾講師は一区切り。
別のバイトを始めるのか、はたまた学生の本分であるはずの学業に勤しむのか。
今度は東京にてその近況を直接聞くことになるだろう。
そして、息子との会話を振り返りながらしみじみ思った。
塾の先生、芦屋ラグビーのコーチ、西大和の先生など。
温かくも厳しい指導をしてくださった方々があって息子が育った。
いくら感謝してもしきれない。