中高の同級生が、ある自治体の首長選挙に出馬する。
現職が吹き飛ぶほどの華麗な経歴、ずば抜けた知性の人物である。
出馬の報に触れ、仲間うち一気縦横に支援の輪が広がる。
今を遡ること20年以上前、ちんちくりんの少年であった我々も、40歳を過ぎて、まあそこそこの端くれには至った。
60歳過ぎればその凄まじさたるや常軌を逸するに違いない。
どの一人がどこに出ても恥ずかしくない我々の仲間が集結し、味方として各自最適の配置につく。
今回の旗頭はもちろんのこと、そんじょそこらの男衆ではない。
昨日たまたま、去年の11月27日、ラグビー兵庫県大会5年生決勝「芦屋ラグビースクール対伊丹ラグビースクール」のビデオを観る機会が得られた。
当時、スタンドから観戦し遠巻きに撮影したビデオしか観なかったのだが、フィールド間近の映像と音声は迫力と臨場感が全く異なる。
芦屋ラグビーの方針なのかどうなのか、複製厳禁ビデオであるとのことで、一部の方以外はその存在すら知らないビデオである。
まずもって、当の出場選手らの大半が入手することすら叶わなかったという。
門外不出の秘蔵ビデオとはまさにこのことだ。(おそらくは人間界によく見られる、撮影者の恣意的遠回しな意地悪であったのだと思う。)
その映像から芦屋5年の、躍動し今にもこぼれ出しそうな程の闘志、血の熱さがたぎって迫る。
今は受験に専念するバックスのエースは並々ならぬ決意で決勝に臨んだ。
それがありあり分かる。
同点トライを決めただけでなく、相手チームをことごとく粉砕する最後の門番のごとく立ち塞がる。
テレビゲーム好きでいつもは醒めた雰囲気のフォワードが相手をまたいで踏み入って必死の形相でボールに手を伸ばす。
抜いたようにトボトボ走るものは誰もない。
自分たちよりも強い相手に、次から次へと身を挺しタックルを繰り返す。
押されても押されても、声を振り絞って盛り返す。
攻め入られつつも、皆が仲間の援軍となり支え合い持ち堪える。
そんな選手らの表情の一つ一つが、尊く、誇らしい。
ビデオは見事それらを捉えている。
出場した選手にとって、末長く、そう、本当に代々残したいほどの宝物とも言えるビデオだろう。
伊丹駅で皆で会ったよ、といったほのぼのしたような仲良しグループの話ではない。
あの強豪の伊丹とがっぷり四つ戦い抜いて勝利した、その鮮烈な時間の記録である。
今後、数々の場面で、この映像によってどれだけ自らの勇気を振り起こされ、仲間との友情を呼び覚まされ、深く横たわる自尊心を強く喚起させることができるだろう。
親にとっては、芦屋ラグビーを通じて学んだ子育ての集大成、時の時の晴れ舞台、終生忘れ得ぬかけがえのない記念碑とも言える代物だ。
どんな規定か裁量か、せめて選手ら、本来の映像の帰属先であるはずの彼らにはこのビデオを行き渡らせてもいいのではないだろうか。
そして、いよいよ友人が選挙戦に臨む。
我々の友情は、かつてより増してますます堅固健在である。
誇るべき彼らは、あらゆる持ち場にて、最大限の努力を惜しまず奮闘し、そして、他者に尽し貢献しているからこそ、やはりどうあっても誇らしい。
人生観や価値観など構えた言い方は数あれど、要は、人に貢献できての人生である。
理屈ではなく、その最も大事なことを仲間とともに、決勝戦で体現実演できたのである。
芦屋ラグビーで学んで得た最高の結晶がそのビデオに凝縮されている。