午後の仕事が延期となりぽっかり時間が空いた。
梅田でスパイダーマンを観て音楽がとても良かったと感想メッセージを送ってきた二男を誘い実家に顔を出すことにした。
G20の影響で学校が休み。
こんな時間を利用しない手はない。
事務所で待ち合わせ二男を助手席に乗せた。
普段より交通量が少なく25号線を快調に走るがちょうど大国町あたりで道路が封鎖されていて行き止まりとなった。
遠回りとなるがやむなく阿倍野を深く南下する。
穴にもぐって向こう側に顔出すような要領で封鎖を切り抜けるしかなかった。
二男と同乗するのは久しぶりのことだった。
プールやラグビーや塾。
小さい頃はそれらの送迎でしょっちゅう車中の時間を二人で過ごした。
その当時に戻ったみたいに互い普段よりも口数が増えた。
二男は修学旅行の話をし、わたしは仕事について話をした。
何がしんどいといって世の中で謝ることほど疲弊するものはない。
口だけもしくは表情だけでといったような機械的謝罪は想像ではあり得ても、現実には存在しない。
おそらくDNAレベルの次元で謝罪は生へと向かう気力を減退させる。
謝罪という場面において、自己は否定されだから体内で警報が鳴り響き、深刻であればまな板の鯉も同然であるから、警報は末期の叫びとなっていく。
過剰反応であるにせよ、カラダが受けるダメージは侮れない。
自分がしでかしたことではなくても、何かを代表すればすべて自分の責任になるから謝罪と無縁の人生などありえない。
せめて、将来仕事につくなら謝罪のダメージが少ない職種を選ぶべきだろう。
毎日が米つきバッタということになれば、これはもう痛めつけられるだけの人生みたいなものであるからつらく悲しく、子がそんな境遇になれば親としてもつらく悲しい。
人生の先輩としてそんな話をし、二男は黙って聞いて何度も頷いた。
無事実家に到着したものの、食事の誘いがあったようで親は出かけるところだった。
対面時間は僅かであったが、二男の顔を見て父はたいそう喜び、母もたいそう喜んだ。
世には、どの子の孫かによって扱いや接し方に差がある場合もあるようだが、うちでは全く分け隔てがない。
息子の子も娘の子も同じ孫。
誰を目に入れても痛くないという存在たちである。
ではではと取って返すが、高速は依然として使えずもと来た遠回りの道をたどり直し、夕刻になって西行きの道路が激しく混み始めたので帰宅したときには午後6時を大きく回っていた。
だから梅田に出て何か食べようとの話は立ち消えになって、家内の運転で芦屋の土山人で夕飯を済ませることになった。
金曜夜、店は混み合っていた。
テーブル席にありつくことができたのは、単に運が良かったからだった。
入店が1分遅ければ席が空くのを待たねばならなかっただろう。
家内が仕切って、豚しゃぶサラダ、地鶏塩焼き、太巻きを前菜に頼み、蕎麦はそれぞれ冷やしすだちの天ぷらセットを頼んだ。
家内と二男を真向かいに腰掛け料理を待つ間、芦屋であるから自然、芦屋ラグビーの話になった。
息子二人を芦屋ラグビーに入れたとき長男は小4で二男は小2だった。
ちょうど入部したとき、長男の学年では入れ替わるように東京に引っ越したメンバーがいてチームのなか喪失感が漂っていた。
巨大な存在だったようで、彼の話題はその後も尽きることがなかった。
だから一度も会ったことがないのに、その名は強烈に印象に残った。
そして季節は過ぎ、長男は今年から大学生となった。
それでふと調べて驚いた。
長男と入れ替わるように東京に引っ越した彼も大学1年生となり、なんと慶應ラグビーのバックスになっていたのだった。
一切交差することなく芦屋ラグビーで入れ替わった二人がともに慶應というのが実に奇遇で不思議に感じられる。
芦屋ラグビーと言えば小林くんが早稲田2年でフォワードであるから、慶應1年の佐々木くんとの対決がいまから楽しみということになる。
芦屋ラグビー出身同士の早慶対決。
芦屋ラグビーに関わるすべての人が11月23日、勝敗抜きにその二人を応援することになるに違いない。
ところで関西の名門同志社に目を向ければ、新和田くんも芦屋ラグビーで同学年だった。
八艘飛びができるのは源義経以来、新和田くんが日本で二人目。
そう言っていいくらい身体能力が優れていて、当時無敵だった伊丹ラグビーを決勝で破って兵庫県大会で優勝できたのは新和田くんの貢献が大きかったからというのは誰もが認めるところだろう。
小林くんと新和田くんの対戦は大学選手権の決勝あたりで、国際試合では彼らが日本代表として一丸となって戦う姿を目にすることができるのだろう。