場所は越後屋玄白。
勤務先が東京となった新卒の4人が集まった。
大手広告代理店に大手ゼネコン、そしてこのほど純利益がそれぞれ1兆円を超えた総合商社など就職先は各々別々だが全員が芦屋ラグビー出身者であるという点で共通していた。
小4の夏。
一人は長男が入部するのと入れ替わりで東京へと越していった。
皆に愛され小学生ながら人望厚くラグビーセンスがずば抜けていた。
息子に面識はなかったがチームには伝説が残り、そして後年、慶應のバックスとして対抗戦や大学選手権で彼が活躍するものだから、直接知るよりその存在感ははるかに大きいものとなった。
芦屋ラグビーの一学年上に早稲田の小林賢太がいるが、この学年では慶應の彼が一番のスター選手であったと言っていいだろう。
そんな彼を含め、歩む軌跡を異にするいずれも芦屋ラグビー出身者が遠く東京の酒場に集まって決起した。
息子から送られてきた写真をみて、実に感慨深い。
みな一様に逞しくて頼もしい。
勉強も大事だがそれよりもっと大事なものがあり、最大の強みになるのはその何かである。
写真が如実にそう物語る。
ラグビーを通じて身についたその何かを活かし、今後社会の第一線で彼らはより一層の活躍を見せてくれることだろう。
このように幾年も経ってから、芦屋ラグビーに入れてよかったとまた改めて思うのであるから、その影響力たるや相当なものである。