週末、食事に誘われた。
待ち合わせのやりとりをし、改めて思った。
この人との縁がなければ息子たちを芦屋ラグビーに連れて行くことはなかっただろう。
絶対にスポーツをさせる。
それが家内の方針だった。
勉強など二の次。
スポーツしてこその男子。
それが家内の信念とも言えた。
では、何をさせようか。
彼らやんちゃ坊主の出力を考えれば、ラグビーが頭に浮かぶのは自然なことだった。
当たって砕けろ。
それくらいでちょうどいいと思えた。
それで地元チームへと引き連れた。
が、そこで息子たちではなく、わたしたち親が挫折した。
厳然と立ちはだかるママらのヒエラルキーに圧せられ、しかし、それにひれ伏すことがバカバカしく思えた。
そんな内心が丸見えだったからだろう。
親としての心得がなっていないとわたしは詰められ、家内は執拗に責められた。
要はもっと下働きして先輩ママに尽くせということのようだった。
いったいなぜわたしと家内がそのヤンキーママにひれ伏さねばならないのだろう。
それでわたしはたまたま芦屋在住のその人物に相談したのだったが、それが幸いした。
「じゃあ、芦屋に来ればいい」の一言で、わたしたちは西宮から毎週、子を連れ芦屋に通うことになったのだった。
芦屋ラグビーに入れてほんとうによかった。
通いはじめてそう思い、いまもそう思う。
そこにはママが主役であるかのようなつまらないヒエラルキーなど存在しなかった。
あくまで主役は子どもたちでありラグビーであった。
それが理念として根付いた組織であったから、清々しくもラグビーに取り組めて、だから名選手を数々輩出し、交流も豊か盛んになるのだろう。
うちの息子たちはそこで多くを学んだ。
男子の基礎がそこで身についたとも言っていいだろう。
長じて後、息子たちはわたしに言った。
ラグビーをさせてくれてありがとう。
彼らのアイデンティティの形成に芦屋ラグビーが一役買い、先々役立つ人間観もそこで得られたといって過言ではない。
それもこれも、その人物のおかげ。
向こうにとっては些細な一言であっただろうが、こちらにとって、その一言がどれだけ大きくものを言うことになったことか。
週末、息子たちの成長を報告し、しっかりお礼の気持ちを伝えようと思う。