KORANIKATARU

子らに語る時々日記

物は試しで朝食を抜いてみた

朝食を抜いて3日目。
朝食を抜けば荒ぶる食欲が鎮まるというのは本当の話だった。

これまで朝食神話を固く信奉してきた。
目覚めとともに「かっ食らう」ことが、他に先んじるスタートダッシュの絶対条件であり、石炭をくべればくべるほど走りの勢いをシュポシュポと増す機関車みたいなイメージで、あるいはほうれん草を口に放り込みパワー炸裂させるポパイを思い浮かべ、高カロリーな食事を腹に詰め込んでいた。

例えば、モーニングカレー。
辛ければ辛いほど眠気吹き飛び、芯から熱気が湧いてくる。
これぞ働く男の理想の朝食。
湯気あげる茶色のホットなホカホカは、心の夾雑物を外へ掃き出し没我の境地を現出させる。
もはや食事と言うより、闘争の女神カーリーを降臨させる呪術的儀式といった方がよい。

しかし、呪術には副作用が憑いてくるのだった。
限界効用は逓減し、その一方でカロリーは体内に備蓄され続ける。
イメージ喚起しその気になろうとしてもガッツがでない。
朝からカレーが押し寄せ、胃腸は話が逆だろうと辟易しているのかもしれず、そのせいで、血の巡りはますます悪くなるという、逆効果の側面が症状として定着してくる。

潮時だった。
胸焼けの回数が増え、油もので気分が悪くなるといったことがたまに起こるようになってきた。

朝食が、食の煩悩を全開させ、朝っぱらから勢いよく鼓舞され盛り上げられた血糖値は、それを維持せんと、恫喝するかのごとく矢継ぎ早、さらにカロリーを求めてくる。

つまり、より良き仕事のためという善良な心で始めたがっつり朝食が、ふしだらなほどの過食を招く誘因となるのだった。
正気に戻った犯人は口を揃えて言う。
悪気はなかったんだ。
そんな話である。

周囲が平然と朝食抜きで仕事していることを知り、しかも、かなりいいよ、とのことだ。
虚心坦懐マネしてみれば、何てことはない。
朝の空腹感など大したことなく、食べようが食べまいがどっちでもいいという至ってニュートラルな状態だ。
食べることを昼以降まで先延ばしにするのは全然苦痛ではない。

もちろん朝のスタートダッシュに不都合が生じることもなく、むしろ、お腹の軽い感じが清々しくて、心地いい。
これは癖になりそうだ。
つまり、要は単に習慣の問題であり、そこで食べるか食べないかが運命の別れ道となるだけなのだ。

こじんまりとスタートした胃袋は、要求も控えめで、食欲も何とか統制下に置けるようになる。

一般的な常識に従い何の疑問もなく食べていた朝食。
それがどのような作用を私という個体にもたらしていたのか、自分では気付くことができなかった。
たまには聞く耳持った方がいいこともある。
物は試しとはよくぞ言ったものだ。