KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ヘトヘトになると思い出す遠い日々

ついつい断り切れず今日が締切の仕事を数日前に引き受けてしまい、半べそかきながらやっとこさこの週末に仕上げ、今朝何とか納品することができた。
切羽詰まる仕事はもう懲り懲りだと肝を冷やしたばかりなのに、切り抜けたときの爽快感がたまらない。
朝9時、今日はこれで仕事切り上げたりなんかしてと楽しい空想に耽りながら事務所に戻り、午後からの仕事に備える。

各所一巡りし終えるとすでに夕刻、窓を開け放ち涼しい風に吹かれながら事務所で一休み。
今日も一日無事に終えることができた。
寄る年波か、久々にぐったりとした、しかし心地のいい疲れにひたる。

思えば30代はじめの頃は、もっと遥かにかさばる激務をこなしていた。
そもそも仕事への熟練度を欠いていた。

帰宅は決まって夜中前で、くたびれ果てたカラダを引きずるように毎夜家路についていた。
それはもういつだってクタクタだったが、どう思案したところで、仕事から逃げられない。
結婚して長男が生まれたばかりでその生活を何とか成り立たせなければならない。
現状という密室から鮮やか抜け出る方法を探ったところで堂々巡り、腹を決めて仕事に向かうという選択肢以外ありえないのであった。

駅から自宅までの道ばたに点滅信号に照らされる暗い一角があって、間もなく家だ、家が近づく、いつまでこんな毎日が続くのだとその明滅を悲しいような目で見上げていた日々をふと思い出しつつ涙をこらえ、さっき腹ごしらえのため買ってきた白身魚のタルタルソース弁当に舌鼓を打つ。
うまい。

ついこの間のことなのに、遠い昔のことのようにしか思えないあの苦役にまみれる日々は、いつの間に過ぎ去ったのだろう。

真面目に取り組んでいれば、いい風が吹いてきてそのうちステージが変わる。
単純すぎるが、そのようなことなのだろうか。
もししんどい役割からにげまどい及び腰のままだったら、何も啓示は与えられず、蜘蛛の糸も垂れてこず、あのような日々のままだったのかもしれない。
そのような日常に首までつかり、半信半疑ではありつつもいつの日にかとナイーブにも夢想し、何とか真っ向勝負で立ち向かってきた。

長男に続いて二男が生まれた。
何としても立派に育て上げなければならない。
親だけが感じることのできる子らの可愛さだけが支えであった。
子の手を引き何とか山越え海越えやってきたようなものである。

ちなみに、山越え海越えというのは、祖母がご機嫌なときに歌うオリジナル曲の出だしの歌詞である。
続きは覚えていない。
全フレーズが、山越え海越えだったのかもしれない。

そのような苦しいことまみれの日々と地続きで今があることが不思議でならない。
地を這ってきたようなものだからこそ、何もかも値打ちが違う。
はじめからそこそこであったなら、感謝の念に包まれつつ感慨ひとしおで今をしみじみと味わうということもなかったであろうし、それを君たちに伝える言葉も持たなかっただろう。

午後から電車で動いていたが、真新しくぶかぶかの制服に身を包む中学生を見かけるとつい見入ってしまう。
中学生になった途端、持ち物から生活のリズムに渡って自己管理が出来始めたようで頼もしい限りだ。

間もなく上方温泉一休の湯につかって今日の疲労を抜き、その足で二男の迎えに向かう。
いつの間にやら過ぎ去ってやがて追憶の一コマとなってしまうのだろうが、ちょっとしたドライブ気分で、父はいつもお迎えの時間を満喫しているのである。

追記
迎えの待ち時間、私の真ん前にジャガーがひっつくように停車する。ちょっと考えてくれないだろうか。真後ろに人がいるのである。ハザードが瞬き続け目に障り気分が悪くなってくる。注意しなければならないようだ。しかしおばさんだ。耐えよう。