KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いい映画を見て少しは優しくなろう2


クリスチャンの友人の父アントンが、子供たちの眼前で町のゴロツキに殴られる。
アントンは殴り返さない。
尊敬する父がゴロツキに殴られ、そのゴロツキをやっつけるのではなく、父は曖昧な態度で引き下がる。
子らは失望しゴロツキへの憎悪をたぎらせる。

子らはゴロツキの居場所を突き止め、父に知らせる。
父アントンはどのように対応するのだろうか。

アントンは子らを引き連れ、ゴロツキが働く自動車修理工場に向かう。
修理溝で油まみれになっているゴロツキにアントンは問う。
なぜ、殴ったのか。

ゴロツキは修理溝から這い出て、スウェーデン人は国へ帰れと罵声を浴びせ、アントンを平手打ちする。
アントンはゴロツキに言う。
君は殴るしか能がない愚か者だ、君は間違っている。
さらに強くアントンは殴られる。
君など怖くないことを子に見せなければならない。

一切たじろぐことなくアントンは殴られ、今日はありがとうとゴロツキに礼を述べ修理工場を後にする。
そして子らに言う。
彼は負け犬のバカである。
相手する価値もない。


父アントンが思慮の末に導き出したゴロツキへの対応は、心から子らを思う気持ちに満ちあふれている。
暴力の連鎖を断ち切ることこそが大事であり、暴力のレベルで呼応してはならない、そのようなメッセージをまさに身を持って示したのだ。

アントンに対比されるゴロツキのちっぽけさが際立ち、粗暴な振る舞いの醜悪さがビジュアルとして心に留まる。
このシーンを見た後であれば、街で粗暴さに直面したとしてもゴロツキの卑小な姿がすぐに頭に浮かんで、こいつはバカだから相手にすまいと軽く無視できるようになるだろう。

しかし、少年クリスチャンは、愚かさを自覚しないゴロツキを許すことができなかった。
復讐を企て、その悲惨な結末を目の当たりにしてやっとクリスチャンはアントンの真意に到達する。


アントンは医師としてアフリカ現地に赴き、難民キャンプの医療支援活動に携わっている。
時折、残忍に腹を割かれた妊婦が運び込まれる。
ビッグマンと恐れられる極悪人の仕業だ。

お腹の中の子が男か女か、それを賭けてビックマン一味は遊びのように妊婦の腹を割く。

当のビックマンがアントンのもとに運び込まれる。
足を病み、助けを求める。
医師として、アントンはビックマンに治療を施す。
ビックマンがいくら極悪非道であっても、アントンは医師としての義を通すのであった。

しかしあるとき、治療の甲斐なく命を閉じた少女の亡骸をビックマンがせせら笑って侮辱する。
アントンは怒りを炸裂させてしまう。
丸腰のビックマンを医療施設から引きずり出す。

恨み抱えた民が大挙しビックマンを取り囲み、復讐を果たす。

アントンですら、暴力性を発露させてしまう。
払いのけても払いのけても暴力は覆いかぶさってくる。

つづく